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どうすれば会社は持続的に成長できるか

PRESIDENT 2013年4月15日号
著者 流通科学大学学長 石井淳蔵
「経営者の仕事は、跳ぶことにある」と述べたのはかつての松下電工(現パナソニック)を率いた三好俊夫会長である。客観的で論理的な戦略で経営を続けると、足をすくわれるという。その真意とは――。

人は、いつも現実の延長線上に物事を考える習性を持っている。「今、原稿を書いている書斎のドアを開けると、廊下ではなく、もしかしたら崖になっているかもしれない」などと考え出したら、人は一瞬たりとも生きてはいけない。昨日あったように今日があるし、今日あったように明日がある(はず)と考えるのは、生きる知恵でもある。

しかし、組織の経営者がそんなふうに考えていては、その組織は持たない。今、この書斎のドアを開けると想像もできない世界が広がっているかもしれないと、常々気に留めていないといけない。その意味では、厄介な仕事なのだ。

昔、超優良会社の松下電工(現パナソニック)を長きにわたって率いた三好俊夫会長は、「経営者は、跳ばないといけない」と言われた。自社の置かれた状況や自社の持っている資源を厳密に精査して、それでもって戦略を導きだすやり方は、誰にもわかりやすい納得のいくやり方だ。客観的・科学的・分析的・論理的だ。戦略論の教科書にも、そうすべきと書いてある。だが、実際は「それだけでは企業は長きにわたって持つものではない」と、三好氏は言われる。状況を客観的に分析し、それを前提として論理的に戦略を構築する。そのやり方を、三好氏は「強み伝い」の経営と呼んだ。強み伝いの経営は、客観的で論理的なので、誰も反対できない力を持つ。組織の中でも、その提案に対して、反対も少ないだろう。だが、三好氏に言わせると、「そのやり方で会社を経営していると、いつの間にか、業界や時代の潮流に取り残されてしまう。会社が変化する速さよりも業界や時代の変化する速さのほうが速い」というのだ。

強み伝いの経営は、誰がやってもあまり変わることのない経営であり、その意味では管理者でもできる経営である。強み伝いの、管理者による経営を避けるためにこそ、経営者がいるのだというのが、三好氏の考えだ。それが、「経営者の仕事は、跳ぶことにある」という主張につながる。

では、「跳ぶ」とは、どういうことか。なんでもいいから跳んでみろというのでは、部下も組織も、ついてはこない。自身で確信を持ち、人に説得できるような未来像を持って跳ばないといけない。まだ誰もやっていないし、その像が妥当だという証拠もない、そんな状況で、確信を持ち他人を説得することがはたして可能なのか。

■なぜアイデアは突然ひらめくのか

前にも書いたことがあるが(http://president.jp/articles/-/1416)、わかりやすい話なのでスキーの話をする。スキーは、ボーゲンから始まってシュテムからパラレルへと上達する。それぞれ、スキー法は違っているので、習得するのはそれなりに時間がかかる。パラレルであれば、「膝を使う」とか、「体重移動で自然に曲がる」ことが助言される。だが、パラレルをやったことのない人には、言葉の意味はわかっても、それが身体の動作には結びつかない。しかし、いったんパラレルができるようになると、アドバイスの意味がすべてわかるようになる。それまで聞いた、さまざまなアドバイスが有機的につながり、秩序を持った知識となる。

この種の経験は、みなさん、どこかでされたことと思う。ゴルフで会心のショットを放ったとき、小学生の頃初めて自転車に乗れたとき、水の中で10メートル泳ぐことができたとき……。それまで、どうしてもできなかったことが、ある瞬間、できるようになる。そこで、初めて意味ある知識が形成される。

身体活動の世界の話がわかりやすいので、その話をしてきたが、同じようなことはアタマで考える観念の世界でも起こりうる。なぜかしら、ある観念がひらめく。ひらめいた瞬間を境に、これまでアタマの中が錯綜し混乱し、グジャグジャになって詰め込まれていたさまざまな情報や理論や経験が、突如きれいに秩序だって整理される。他人に対しても、その秩序だった世界を説明することもできる。

この話は、マイケル・ポランニーのいう暗黙知の次元の話と同じだ。ポランニーは、「それとわからないうちに(暗黙のうちに)認識できてしまう」知の次元があることを強調した。その事例で、アインシュタインが何の証拠もない段階で相対性理論と後に呼ばれる「観念の秩序ある全体像」をイメージできたことを述べる。発見の中身はいろいろ違っても、スキーのパラレルの発見と、創造的瞬間であることは変わらない。

■医薬品会社における発想の転換とは

どうして、パラレルができるようになったのか。どうして、相対性理論を思いついたのか。それはわからない。経験した当人にもわからないのだから、「創造的瞬間を経験するための手際のいい方法」なんてものはたぶん、ない。だが、創造的瞬間を経ることで、人は確信を持って跳ぶことはできるし、人や組織を説得する意欲も根拠も生まれてくる。

そうした経験を得るために、何が必要なのか。ポランニーは、ひとつの重要な手掛かりを与えてくれる。それは、「対象への棲み込み(dwelling in)」の経験である。対象に棲み込み、対象と深い深度で交流することである。これは、強み伝いの経営で述べた、客観的・分析的・論理的なやり方の対極にあるやり方だ。私も、それが大事だと思う。

対象が人であれば、その人の身になって考える。対象が数学理論であれば、その理論に潜り込んで、さまざまな局面で使い込んでみる。対象がスイカなら、スイカの心までわかる(?)果物屋の親父は、スイカをコンコンと叩くだけで中の色や美味しさがわかる。

対象に棲み込む経験を積むことは、人がその人生を生きていくうえで大事なことだと思う。同時に、企業が生きていくうえでも大事な経験だと思う。最近になって、そうした棲み込みの経験を新商品開発の核心に置く企業は増えているが、それをさらに発展させ、それを企業の理念とし、事業のサイクルの核心にまで位置づけた企業もある。そのことを述べて、終わりとしたい。

その会社は、医薬品の会社である。同社は、理念として、「患者様と喜怒哀楽を共にすること」を置いている。医薬品を開発する創薬のプロセスは、科学的・分析的なプロセスである。そこに特に「患者」とか「患者との境界」というファクターが入らなくても、医薬品会社における創薬開発は可能だ。だが、その会社では、研究者も患者さんと共感することを図り、喜怒哀楽を共にしようとする。認知症の患者さん、小児がんの子供たちと……。

それらの活動は、社会貢献活動にとどまるものではない。事業サイクルの中核に置かれているのだ。そこでの経験が、認知症や小児がんの創薬の起点になること。そしてもちろん、創薬の終点もその患者さんたちの治療現場にあること……。

医薬品は、つくって終わりのものではない。その意味で、その会社が提供するのは、医薬品というモノではなく、健康というコトだと言い換えてもよい。この発想の転換は、この企業の患者さんやお医者さんに向けての取り組みを、大きく転換させるだろう。そのことをお話しするには紙数は尽きたので、読者諸氏に、想像の翼を広げてもらうことにしよう。