さんぽ

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父からの暴力 いつしか娘へ

自分が親になったからか、児童虐待への関心度は高い。
何とかしてやれないものか、と思う。

嫁に話すと、「(虐待する気持ちが)わかるところある」と言う。
常に子供と向き合っている母親は仕事で外が多い父親とは違う思いがあると知った。

やりきれない思いがあるなか、世の中の仕組みにとても疑問を持たざるを得ない。
下記の記事を読んだ時、一層そう思った。

いつも思うが、生まれてきた子供には何の罪もない。

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シングルマザー 「頼りなさい」に救われた

散歩の途中に抱き合う母娘。女性はいつか長女に伝えたいという。「生まれてきてくれてありがとう」と(京都市内で)=川崎公太撮影

息苦しいほど蒸し暑かった1年前の夏、大阪市西区のマンションで幼い姉弟が放置され餓死した事件が繰り返し報道されていた。

「この子もいなくなれば、楽になれるかな」。京都市内のマンション2階。泣きやまない長女(2)を抱いた女性(21)は、太陽が照りつけるベランダに向かった。

同い年の夫は仕事をせず、子供には無関心。頼れる身内もなく、一人きりの子育てに追い詰められていた。事件で逮捕された母親は同世代のシングルマザー。自らの境遇と重なり、不安定な心が揺さぶられた。

「落としてしまおうか」

危うい思いが脳裏をかすめた。がく然として思い出した。子供への虐待だけは許せないはずだった。女性には心身をずたずたにされた過去があった。



父が再婚した2歳の時から暴力が始まった。ささいなことで何時間もたたかれ、耐えられずに家出を繰り返した。行く当てがなくなって帰ると、「家出できんようにしたる」と鉄パイプで手足をめった打ちにされた。

中1の夏、家出から戻ると、逆上した父が包丁を持ち出した。「殺される」。はだしのまま屋根から飛び降りた。足を血まみれにして近所の家に逃げ込み、児童養護施設に保護された。

17歳まで施設で暮らし、髪を金色に染め、夜の街に飛び込んだこともあった。18歳で以前から遊び仲間だった夫と結婚し、新たな命を授かった。「生きてて良かった」と初めて思えた。

だが、妊娠8か月の頃、夫は仕事を失い、パチンコに明け暮れた。家族の支えがないまま出産。育児ストレスで母乳は2か月で止まった。孤独な子育ては長女への愛情を失わせた。いらいらして突き飛ばし、「ママ」と呼ぶ声を無視した。11年間苦しめられた虐待が長女に向かっていた。



ベランダに出るのを思いとどまってから約1か月後、夫と激しいけんかになった。警察の要請で駆け付けた養護施設の女性施設長に再会した。久しぶりに顔を見た途端、子育てのこと、虐待で受けた心の傷のこと……、胸の奥底にたまっていた思いがあふれ出した。

数時間、話し続けた。

「私を親代わりと思って、頼りなさいよ」

黙って話を聞いた施設長の最後の言葉に、孤立し、かたくなだった心が解きほぐされた。

それから、育児に疲れた時は長女を預かってもらっている。困ったことがあると相談に乗ってもらう。「甘えさせてくれる人がいる」。そう思うと、長女に手を上げることもなくなった。

「今は大声で泣かれてもかわいくて。かまってほしくて泣いていた、昔の私にそっくりやから」。泣き出した長女に、大好きな犬のぬいぐるみを差し出した。



昨年10月に離婚した。長女と2人で暮らし、生活保護を受けながら仕事を探すが、母子家庭に対する社会の壁にぶつかっている。

保育所では「仕事もない人の子供は預かれない」と断られ、就職の面接で「子供が熱を出したらどうするの」と突き放された。「虐待を受けた私には助けを求める親がいないのに、支援してくれる仕組みがない。虐待を生む環境は変わっていない」と痛感する。

「私でも自力で働いて娘を育てて普通の幸せをつかめるような、虐待のない、そんな世の中になってほしい」。女性は願っている。

<虐待と孤立> 厚生労働省は再発防止を目的に、2003年7月以降に起きた虐待死事件の原因や背景などを分析している。47件が発生した09年度の虐待死検証報告では、虐待した親の76%が、地域社会との接触は「ほとんどない」「乏しい」で、63%が保育所などの利用もなかった。社会からの孤立が虐待を生んでいる現状が浮かび上がる。

(2011年11月2日 読売新聞)