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なぜ仕事よりも健康が大事なのか? 優先順位は「立場」によって変わる

中里 基 :会津乗合自動車会津バス)取締役 2013年03月12日
戦略コンサルタントを経て、現在、会津のバス会社の再建を手掛ける著者が、企業再生のリアルな日常を描く。「バス会社の収益構造」といった堅い話から、 「どのようにドライバーのやる気をかき立てるのか?」といった泥臭い話まで、論理と感情を織り交ぜたストーリーを描いていく。

車両の安全祈祷はバス会社としてとても重要な行事です。基本的に休みません。休めません。

■ 「立場」とは何か?

人間いくつになっても、「行く場所」と「帰る場所」は必要だと思います。

たとえば、社会人にとって行く場所は「職場」、帰る場所は「家庭」というのが一般的でしょうか。年齢や環境によって、ここでの「行く場所」は「学校」であったり「習い事」であったり「会合や集まり」だったりと思いますが、いずれにせよ行って帰るという行為は、生来的に私たちのDNAに刻み込まれた基本原理である気がします。

物理的に言えば私の場合、行く場所は福島(会津若松)であり、帰る場所は東京ということになります。その移動にかかる時間は3〜4時間程度です。職場と自宅が物理的に何百キロと離れているのは単身赴任ならではですが、その移動時間は自分にとって「立場」の切り替えを行うに当たり、とても大事なものです。

さて、あらためて「立場」とは何でしょうか。

私は今の福島のバス会社で会社役員や取締役という立場にありますが、この役員職務は兼務です。企業再生ファンドの職員というのが主務で、状況によってファンドの立場とバス会社の立場を使い分けています。電話で名乗る肩書や名刺なども、相手によって意識的に変えています。

言い換えると、会津に来ると会社のラインの責任権限の中で意思決定を迫られる立場ですが、東京に戻ると株主として案件の一担当者という立場です。どちらも会社を再生させるという目線はまったく変わりませんが、その行動や振る舞いはかなり意識的に使い分けなければいけないと自覚しています。

そういった生活を何年間か続け、その使い分けのコントラストの中で、私の中で浮き彫りになったことがいくつかあります。

今回は、企業再生で施策を計画・執行する責任ある立場で内部にどっぷりつかっている自分をあらためて客観的に眺め、そこから見えた「責任ある立場」の意識や心構えについて触れてみたいと思います。

まず責任ある立場となって意識するようになったことのひとつは「時間を守る」ということです。

言うまでもないですが、会議の時間に遅れるということは、人数×遅れた時間分の無駄が発生することを意味しますし、特に遅れた人が上位者であれば会議を勝手にスタートさせることもできず、上位者が全体の無駄を惹起しボトルネックになるという、あるまじき状況になります。また遅刻の中でも論外なのは朝の遅刻です。どんなときでも定時にきちんと出社することが大事です。

■前日飲み会のときほど、早く出社すべき

ここまで読まれて、当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、全然当たり前ではありません。「重役出勤」と揶揄されるように、上位者のほうが定時出社率が低いのは経験的事実でもあります。

上位者というのは注意されにくいですし、受けるフィードバックも少なくなります。なおのこと自律的に、自分で客観視して注意しなくてはいけないと思います。前日飲み会や接待などで遅くなったときこそ、いちばん早く来るくらいのことは必要です。

こんなことは難しいことではまったくありません。たとえば、予定の開始時間を自分の中で定刻の10分前と考えて行動すればいいだけのことです。そこでのわずかな努力で信頼関係が大きく変わります。

私自身も人のことを言えた義理でもないのですが、思い返せば忙しくなるほど時間を守るようになった気がします。矛盾のように聞こえるかもしれませんが、忙しさに比例して時間の大切さを認識し、自身の時間厳守の意識が高まったということかもしれません。

多忙なほどに時間の重要さを認識しているということであるならば、上位者は多忙であるほどよいですね(苦笑)。

責任ある立場として意識するようになった2つ目は「健康でなくてはいけない」ことです。これも当たり前に聞こえるかもしれませんが、言い換えると、仕事よりも体を大事にすることが合理的であると強く自覚する必要があります。

私の場合、少し長めに会津を不在にすると、稟議が恐ろしくたまっています。処理できないと自分がボトルネックになって、物事によっては立ち往生することもあります。

取締役会は最優先で時間を空け、休むことは基本的にありえません。特に自分の上げた議題があるときは、病気になってもはってでも行かざるをえません。労使協議会や、自治体の首長との会合などもそうです。長い目で見れば自分の代わりなどいくらでも利きますが、その瞬間での代わりは利きません。

休めないということは、要するに健康である状態を維持しなくてはいけないということです。

健康を維持することが大事だとすると、生活の優先順位もおのずと変わってきます。

たとえばきちんと睡眠時間を取ろうとか、きちんと決まった時間に夕食を食べようとか、朝食は食欲がなくても食べておこうとか、その手の生活態度・生活習慣が変わります。そこで犠牲になるのは仕事(の効率)です。先送りできる自分の仕事は多少融通を利かせたり、無理が利きそうだと思ってもスケジュールを保守的にしたり、といった行動に出ます。

今私は12時前後に寝て6時台に起きています。多少オーバーに言うと、以前の就寝時間が起床時間です。とても健康的な生活になりました。

■責任がある人は、過剰なくらい潔癖に

次は少し視点を変えて、「責任ある立場」が独り歩きし、誤解されがちな局面についても言及しておきます。

友人や知人からの引き合いや、そこからの紹介から始まる営業活動などで、具体的な商談を行うことがあります。見積もりをするに当たり価格について話していると、先方からバス料金を安くできないか、という流れになることがあります。その中には暗黙の期待があります。「責任ある立場なのだから少しは融通が利くだろう」と。

私が思うに、責任者として立場や権限があるから、「知人や友人に対して」自社の商品やサービスを安く使ったり提供したりできるというのは、すべて逆です。立場や権限があるからこそ、自分や周辺に対しては過剰なくらい潔癖である必要があると思います。そういう行動こそ、周囲から間違いなく見られているのです。

むしろ立場や権限がない若手や新人ほど、会社と自分を切り離す傾向があるような気がします。恥ずかしながら私も新人の頃は、会社に対して「もっと研修させろ・行かせろ」だの「この書籍は仕事に関係あるので会社の費用で買わせろ」などと要求ばかりして、会社のカネを無邪気に自己研鑽に転嫁していたような気もします。今思っても赤面してしまいます。

ちなみに若干補足しますと「オーナー(経営者)」は別だと思います。オーナーとはいい意味でも悪い意味でも自分と会社が運命共同体であるので、一切のきれいごとやカネの出所はどこかというのは関係なく、行動原理は根本的に異なります(少し極端ですが……)。一方でこれは批判されるべきものかというと、必ずしもそうでもありません。詳しくは今後の連載の中で機会があれば述べたいと思います。

■何をやっても批判されることを覚悟せよ

最後に、責任ある立場の人は何をやっても批判されます。このことにも腹をくくっておく必要があります。

人や会社を動かすには、究極的には人間的魅力や信頼関係が基盤になってくるわけですが、社員全員とはたしてそんな良好な関係が築けるかというと、簡単な話ではありません。

意思決定の中身についても、全員が満足できる結論というのはそもそも幻想です。批判はどんな角度からもできます。

たとえばですが、業務に無駄があり、じゃあその無駄をやめようかという結論になると、本当にやめてよいのか、責任を取れるのかと批判が出ます。それでは腹をくくってやりますと言うと、今度は独断だと批判が出てきます。それでは皆の意見を聞いて決めますと言うと、丸投げだとか決められないとかいう批判に至ります(かつての私自身の苦い経験です)。

社内からだけではなく、社外からも同様です。私も匿名での投書を名指しで受けることがありますが、やはり匿名なだけにかなり気が滅入る内容も多く、うんざりしたり不安でビビったりもします。要はだいぶ心がかき乱されます。この手のことに触れたときには大きく脱力もし、精神的にも結構参ります。

だからこそ「責任ある立場」という存在は、心身ともに充実し健康が大事という、先ほどの当たり前の部分にあらためて帰着するのかもしれません。そういうわけで、今日も早めに寝て英気を養うことにします。