ノーベル賞・大村教授流「やり抜く力」をつける法
PRESIDENT 2015年11月30日号 掲載
■ノーベル賞受賞の背景にあった「レジリエンス」
「1回失敗して、それでもってもうダメだと思ったらダメですね。これが必ず役に立つんだ、と思いながら研究をつづけることが大事だと思います」
「成功した人は言わないけれど、人の2倍も3倍も失敗している。失敗を恐れないように」
今年のノーベル医学・生理学賞に決まった北里大学特別栄誉教授の大村智氏(80歳)は、記者会見でそう語った。静岡県の川奈ゴルフ場近くで採取した土から、抗生物質「イベルメクチン」をつくりだす微生物を発見したのは40年前。それが受賞理由となった「寄生虫によって引き起こされる感染症の新しい治療法の開発」につながった。米大手製薬会社メルクと共同開発した「イベルメクチン」は、アフリカ、中南米の発展途上国を中心に猛威を振るっていた風土病「オンコセルカ症」に絶大な効果があると確認される。大村氏は数千億円に相当する特許権を放棄し、世界保健機関(WHO)による無償配布などを通じて、3億人以上もの人々が病気から救われたという。
その業績と情熱的で地道な研究姿勢とともに、定時制高校の教師から研究者に転じた異色の経歴、メルク社から研究費を引き出したビジネス的手腕、故郷の山梨県韮崎市に美術館を建設した美術愛好家としての顔など、偉人伝を読むような大村氏の半生は多くの人を魅了している。
「大村先生の経歴やエピソードから、レジリエンスが非常に強い方だという印象を受けました」
ポジティブサイコロジースクール代表の久世浩司氏はそう話す。
レジリエンスとは「逆境や困難、強いストレスに直面したときに、適応する精神力と心理的プロセス」のこと。2013年の「世界経済フォーラム(ダボス会議)」で、国際競争力が高い国ほどレジリエンスも高いと発表され、ビジネス界でも知られるようになった。
久世氏は注目されるレジリエンスの専門家として、多くの企業や公的機関でトレーニングの講師を務めてきた。
「誰でも失敗や逆境には直面します。すぐに心が折れて投げ出したり、逃げ出したりする人がいる一方で、ストレスに負けない人や困難に打ち勝つ人がいます。大村先生はまさに後者の代表」
大村氏は山梨大学を卒業後、都立墨田工業高校定時制の教師を務めながら東京理科大学大学院の修士課程で研究をつづけた。実験器具などを購入するために、私立学校の授業も受け持っていた。
その頃、父親が地元山梨の学識ある人に大村氏の将来について尋ねたことがある。その先生は「この経歴では将来性がない。せいぜい大学の講師どまり。高校教師を続けて将来は校長になればよいのではないか」と答えた。父親からそのことを聞いた大村氏は「日本では講師どまりかもしれない。だったら世界を目指せばいいじゃないか」と思ったという。
29歳で北里研究所に入り、36歳で夫人を伴ってアメリカの名門ウェスレーヤン大学に留学。日本から「戻っても研究費はない」と言われ、製薬会社をまわって共同研究を打診。メルク社から年間2500万円という破格の研究費が提供される契約を結び、動物薬の研究に打ち込んだ。しかし、3年契約のうち1年が経過しても成果は出なかった。
帰国後、北里研究所に復帰すると、ポリ袋やスプーンを持ち歩いては各地の土を集め、微生物を培養して有望な菌を探すという地道な作業を続けた。
「レジリエンスが高い人に共通する3つの特徴があります。回復力、緩衝力、適応力です。大村先生はこの3つを兼ね揃えていたのではないかと思います」
「回復力」が強いと、失敗などで気持ちが落ち込んでも、物事の捉え方を柔軟に切り替えてすぐに立ち直ることができる。逆に弱い場合には、ネガティブな思考・感情が繰り返され、深く落ち込みメンタルの問題に発展するリスクもある。大村氏が、日本で将来の見込みがないなら世界を目指せばいいと発想を転換できたところは、まさに回復力の強さを示している。
2つ目の「緩衝力」は、困難な状況でも大きなストレスを受けない力のこと。いわゆるストレス耐性だ。
大村氏は36歳でアメリカへ渡った。外国での生活は言葉の壁や文化の違いでストレスが多い。しかも、母国から「研究費はない」と言われる逆境にも直面した。
「不測の事態やストレスに見舞われても、それで心が折れなかったのは、しなやかな心で緩衝力を発揮したのではないかと想像できます」
3つ目の「適応力」は、困難や逆境に直面したときに、しなやかに切り抜ける柔軟な問題解決力のこと。
帰国後に必要な研究費をメルク社から勝ち取ったこと、その後メルク社との共同研究で成果が出ないなかでも、ぶれることなく方策をとり、研究をつづけたこと。そのような状況の中、成果を挙げたのはまさに適応力の賜物だ。
「問題に直面しても、柔軟に対応して解決策を見出し、結果が出ないというプレッシャーにも打ち勝った。そこからイベルメクチンを発見し、有力な治療薬の開発につなげたわけです。大村先生の研究者人生には、レジリエンスが高い人に共通する回復力、緩衝力、適応力が随所で発揮されています」
大村氏の成功プロセスは、レジリエンスの重要性を改めて教えてくれる格好の教材だといえる。
■やり抜くために必要なのは「熱意」「自制心」「忍耐力」
「大村先生は、レジリエンスの高い人が多くもつ気質である『グリット』も抜きん出ていると思われます」
グリットとは、心理学の研究で、達成困難と思える長期の高い目標に向かって、熱意と粘り強さをもって、不屈の精神で根気強く努力をつづけられる性格的な特徴を表す。各分野の専門家や識者がプレゼンする人気のトークライブ「TED」で、アメリカの心理学者アンジェラ・リー・ダックワース教授がプレゼンした動画である「成功のカギは、やり抜く力」は700万回以上も再生されている。ここでも「やり抜く力=グリット」がキーワードとなっている。
「大村先生は、高校時代にスキーのクロスカントリーで国体に2度出場し、教師から研究者になるという大きなキャリアチェンジにも踏み出している。ご本人もよく話すとおり、負けず嫌いな性格で、“やり抜く力”が卓越していると思います」
グリットは「非認知能力」のひとつとして捉えられている。00年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ジェームズ・ヘックマン教授は、人間の能力(人的資本)は「認知能力」と「非認知能力」の2つに分けられると説明した。認知能力は「読み・書き・そろばん」のようにIQやテストで判定できるもの。それに対して非認知能力は、真面目さ、粘り強さ、自制心、忍耐力、気概、首尾一貫性などの気質にかかわるものを指している。
非認知能力の高さは、本人が生まれもつIQや育った家庭の収入と同等以上に、学校での成績や将来の収入に影響を与えるとされる。
「グリットなどの非認知能力は、子供の頃から育てることが重要ですが、成人後も伸ばすことができると考えられています。高く困難な目標を達成する秘訣となる“やり抜く力”を形成するためには、心理学における3つの強みを形成することが重要だと考えます」
強みと美徳を研究するVIA研究所によると、人の強みは24種類に分類されることがわかっている。そのうち、達成力につながる“やり抜く力”に関係するのは「熱意」「自制心」「忍耐力」だと考えられる。
「熱意」を強みとする人は、情熱と活力をもって仕事や勉強に打ち込むことができる。そのポジティブな感情は、周りの人たちにも影響を与え、元気にさせるのが特徴だ。
人間の感情や雰囲気には波及効果があり、周囲に伝染することは経験的に理解できるだろう。たとえば職場のマネジャーが熱意を強みとするタイプなら、そのポジティブなエネルギーがチーム全体に伝わり、高い目標に取り組める“熱い集団”になる。短期間で業績を伸ばすベンチャー企業などでよく見られることだ。
反対にマネジャーがネガティブなエネルギーを発していると、メンバーの活力を削ぎ、自信を喪失させて「自分はなんて小さな存在なんだ」と自己肯定感を低くする。これも多くの職場で見られる状態だ。
大村氏は定時制高校の教師だった頃、勤め先の工場から試験に駆けつけた生徒の手が油で汚れているのを見て、もっと自分も勉強しなくてはいけないと思ったというエピソードはよく知られる。心に火がついた瞬間だ。
しかし熱意の強みだけでは、高く困難な目標の達成にはつながらない。新しいことには熱心に取り組むが、すぐに飽きて意欲が継続できない人もいる。 グリットを自分のものにするには、この熱意に加えて自制心と忍耐力の強みを身につける必要があるだろう。
「自制心」の強みをもつ人は、自分の感情や思考の反応を的確に把握し、コントロールできる。目標に到達するため、誘惑に負けないのも自制心の表れだ。仕事中にはさまざまな誘惑がある。遊びの誘惑やお酒の誘惑はもちろん、最近ではフェイスブックなどのSNSも仕事への集中を妨げる誘惑の1つになっている。
「スマホが気になって、ひと息つくたびに手に取ってしまう人が増えています。あるいは、ダイエット中なのについお菓子を口に運んでしまう、貯蓄に励みながらコンビニで無駄づかいするのも同じです。そういう“マイクロ誘惑”は、積み重なると自制心を弱める負の影響が大きいものです」
大きな誘惑は気づきやすくて抵抗しやすいが、これぐらい大丈夫だ、と慣れ親しんでしてしまう“マイクロ誘惑”は怖い。その繰り返しによって、自制心がしだいに劣化していくこともある。欲望を抑制する心は小さなところから崩れやすい。
自制心が“マイクロ誘惑”で劣化するのと反対に、小さな挑戦を繰り返すことで自制心が強化されることも期待できる。たとえば、「始業30分前に出社する」「毎日ウオーキングや運動をする」といった小さな目標を2週間ほど達成しつづけるだけでも、自制心は徐々に鍛えられる。
3つ目の「忍耐力」の強みは、集中力と我慢強さのことで、ある課題を最後までやり遂げるという気概、気骨にかかわる。途中で障害にあっても、目標に向かって努力を継続できることは、ビジネス活動の根幹だといえるだろう。
この忍耐力も、仕事を最後までやり遂げた達成感の積み重ねで鍛えることができる。困難に直面して投げ出した経験が多いと、それが習慣化して「しつこさ」「しぶとさ」が培われることもない。
「自分のやり抜く力を高めたいなら、日頃から熱意、自制心、忍耐力を意識して仕事に取り組むことが大切です。強みを発揮することは、レジリエンスを強化し、仕事の活性化にもつながります」
大村氏の偉業をきっかけに、レジリエンスが強い個人、レジリエンスが強い組織が増えれば、日本の競争力も高まることが期待できるだろう。