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消費者調査に頼らず、売り手の論理で難局突破 −中川政七商店 なぜこの中小企業は元気なのか

PRESIDENT 2013年2月4日号
どのような商売であれ、およそ「お客」のある仕事には、マーケティングの発想が大事だということになっている。メーカーや小売業はおろか、政党、病院に至るまで、ほとんど例外というものが見当たらない。

奈良市元林院町の「遊 中川」本店(現在改装工事中)では、麻製品をはじめとする各種の和雑貨が人気を集めている。

マーケティングとは、平たくいえば「顧客に買ってもらえる仕組みをつくること」(『グロービスMBAマネジメント・ブック』)。つくってしまった製品や仕入れてしまった品をただるのではなく、顧客の求めるものを調査し、理解し、それに応じた商品やサービスを提供する。大げさにいえば、これこそが現代の企業が等しく共有している価値観だ。

ところが、奈良晒と呼ばれる麻織物の問屋から出発した老舗・中川政七商店の13代目である中川淳社長は、そこに違和感を持ったという。

中川政七商店はいま、「日本の伝統工芸を元気にする!」を合言葉に、麻物だけではなく陶磁やなどリジナの和雑貨「粋更(きさら)」などのブランドで販売している。

いわば和雑貨・伝統工芸品のSPA(製造小売業)だ。この業態をつくりあげたのが中川氏。

2002年、富士通の営業マンだった中川氏は家業の中川政七商店へ転じ、主に麻生地を使った和雑貨の製造・販売を担当することになった。同社にはほかに茶道具の製造・販売という事業があり、当時はこちらのほうが本業だったが、中川氏はあえて傍系のビジネスを志願した。

当時は同様のカテゴリーで競合する会社が4、5社ほど。その同じ顔ぶれが年に1、2回、新商品を売り出し、それを百貨店や一般の小売店のバイヤーが吟味して仕入れていく。

「どんぐりの背比べ状態でした。こういう世界は、価格もそうですが、商品のデザインのよしあしで比較されます。たまたまデザインがよければ売れるし、悪ければ売れない。経営トップが優秀なデザイナーであればいいのでしょうが、僕は絵がとんでもなく下手くそです(笑)。だったら、僕には何ができるのか」

■CMよりも直営店が効果的だ

中川氏の当時の肩書は常務取締役。社長だった父・中川巌雄氏は、こう息子にアドバイスしたという。

「世の中で何が売れているかをよく見ておけ。そして売れるものを考えろ」

巌雄氏の意見は、ごくまっとうなマーケティング的な発想に立っていた。ところが、息子はそれに強い違和感を覚えた。

「結果として売れてほしいのはもちろんです。でも、一個一個の商品を商品の力だけで売るのでは、どんぐりの背比べから抜け出すことはできない。商品に最初から下駄を履かせてやることはできないか。そう思ったんですね。たとえば、自分が一消費者として家電を買うときには、ソニーの製品から見るわけです。それから他社製品と比較して、最終的にソニーを買う。『下駄を履かせる』とはこういうことだと理解しました。つまり、ブランドを高めるしかないと」

中川政七商店の和雑貨にはブランド力がまるでなかった。ネームタグをつけた品物が百貨店の売り場に並べられても、他社の商品群の中に埋没し、どれが中川政七印の品なのか判然としない。しかもセールの時期に入ると、十把一からげで特売のワゴンに放り込まれ、ますます輝きを失ってしまう。

若き13代目は、売り場に置かれたワゴンを悔しい思いで見つめるしかなかった。

「思いを込めて商品をつくり、ネームタグをつけました。自分たちはそれだけで立派なブランドだと思っているのですが、お客様にはその思いが全然届いていないんです。流通過程を経るごとに、伝えようとしていたことがどんどん削り取られていく。つまり、マーケティング的に『売れそうな商品』をつくっただけでは駄目なんですよ」

そもそも、消費者調査など教科書的なマーケティングを展開するのは中小企業には荷が重く、一方、期待する売上高もほどほどだ。それなら、あえて市場のご機嫌を取るようなことをしなくても、自分たちがよいと信じた商品を売ればいい――。

そう思い至ったところで、やるべきことが見えてきた。マーケティングではなくブランディングを徹底する。そのための手段は、直営店を増やし、自分たちの手で売ることだ。

「大企業ならテレビCMを打つこともブランディングの一つのやり方です。でも中小にはそれができない。規模の大小にかかわらず一番効果的なのは『自分たちの手で売る』こと。だから直営店を出そうと考えました」

野暮をいえば、一般にはマーケティングの一要素と位置づけられるのがブランディングだ。しかし、中川氏はこれらの用語に独自の定義を与え、進むべき道を明確にしたのである。

奈良公園の鹿をモチーフにしたシリーズは観光客にも人気。


「マーケティングはあくまでも市場起点の考え方です。市場のどこにチャンスがあるかを見つけ出し、そこに対して商品を当てはめていく。しかし、ブランディングは『自分たち起点』です。自分たちはこうありたいという姿が最初にあって、商品や売り方などを通じてそれを表現していくのです」

といっても、売り手側の独りよがりではお客にそっぽを向かれるだけだ。モノがあふれるこの時代、消費者が商品を手に取るのは「価値観や思想への共感があるから」(中川氏)。だから新技術やスペックに頼らず、世界観や思想を打ち出していく。

「遊 中川」というブランドなら、それは「日本古来の文化・風習、趣ある遊び心」だ。これが中川氏の思い描く「自分たち起点」だった。

■ここで勝負しないと未来はない

転機になったのは、ショッピングセンター(SC)への初出店だ。03年、中川七店は先方の誘いを受けて都内のSCへ店を出した。委託販売の百貨店とは異なり、SCでは建物の一角を借り受け、そこに自前の店を構築する。街に路面店を出すのと同じような仕組みである。当然、それなりの額の初期投資をしなくてはならない。

奈良市中心部の「遊 中川」本店から車で10分ほどのところにある中川政七商店本社。仕切りのないスペースを若い社員が活発に行き来する。

この店の場合、敷金をのぞいても約1500万円の投資が必要だった。中小企業にとっては軽くない負担である。

「小売りは固定費ばかりかかって儲からんぞ。卸だけならリスクは少ない。やめておけ」

父・巌雄氏はこういって前のめりになる中川氏を諭した。短期的な収支を考えれば、その指摘はもっともだった。

「それはそうです。僕らは小売りの素人ですし、一店舗では手間ばかりかかって儲からないと思います。でも、この先、小売業で勝負していかないと、うちの会社に未来はない。単店収支がどうこうじゃなくて、やらなくちゃいけないんですよ」

中川氏は必死の思いで父を説得し、1500万円超の投資を許してもらった。その後、「06年に10店目を出すまでは手さぐり状態だった」というが、10店舗達成を機に専用システムを導入し収益化を達成した。

なぜ、中川氏はリスクの大きい道を選んだのか。

先述のとおり、中川政七商店の会社ビジョンは「日本の伝統工芸を元気にする!」。そう宣言する背後には、安い輸入ものに押されて、どんどん廃業が進んでいく伝統工芸業者の危機的な状況が貼りついている。

創業300年の同社には、数百軒にのぼる仕入れ先がある。ところが例年、そのうち3〜5軒から「廃業のごあいさつ」が届くという。通知もできずに店を閉める人を含めると、業界はかなりのスピードで縮んでいるのだ。「これが20年続けば、うちのものづくりはできなくなる」と中川氏は危機感を口にする。

だから、店舗網を広げて和雑貨事業を伸ばし、08年に社長に就任してからの中川氏は、全国の伝統工芸業者の経営コンサルティング事業に乗り出した。関与先は仕掛かり中を含めて10社。大きくても年商数億円規模の零細企業だ。

「もちろん、報酬は大した額ではありません。大手のコンサル会社なら受けないでしょう。でも、結果的にうちのものづくりを助けてくれるパートナーになってほしいから、みなさんの再生に手を貸しているんです」

関与先は陶磁器、鞄、包丁類、カーペットなどのメーカーだ。

業務や商品政策を見直し、経営が回復したら中川政七商店が品物を仕入れて販売する。ここ数年の同社はそうやって商品の幅を広げてきた。

伝統工芸全体を「元気にする」にはまだ力不足かもしれない。だが、誰かが動かなければ未来はない。13代目は店のため、業界のために走り続ける。

福井県立大学 地域経済研究所所長 中沢孝夫教授のコメント

市場調査に惑わされず、自分たちの売りたいものを売る。これが中川さんの考えだ。

中小の経営者は誰よりも商品に詳しい。だから、自信を持っていいのである。「ブランディング」が有効だというのはその通りだと思う。

和雑貨のSPA】中川政七商店
本社:奈良県奈良市東九条町1112−1/事業内容:和雑貨および茶道具の製造・販売/代表者:中川 淳社長/年商:27億5000万円(2012年7月期)/従業員:235人

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なんか疲れてるからコメントが文にならないけど、なんかここにヒントがある気がするー。