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「農村人口の減少」という創造的破壊で 地域経済の空洞化は克服できる

2012年10月15日(月)(プレジデント・オンライン)
■地方の雇用を支える工場が出て行く

日本の企業がアジアなどに進出していっても、マクロ経済的には空洞化は起きにくい。この点について前回までに議論してきた。ただ、マクロ経済的にはそうだとしても、地域別に見ていけば、話はもう少し複雑だ。地方では空洞化が起きているからだ。

地域あるいは地方という言い方は不正確であるが、ここでは農村地域、あるいは人口30万人未満のような中小都市を想定して、地方という言い方を使うことにする。

全国どこに行っても、多くの農村地域や地方都市には工場がある。それは、大企業の出先の工場であったり、そこに部品を納める地場の中小企業であったりする。こうした工場は、地域の雇用を支える重要な役割を担っている。

少し前に、静岡県牧之原市を訪れる機会があった。静岡県で最大規模の茶畑が広がる田園地帯で、その景色は素晴らしい。そうした景色を横に見ながら、迎えにきてくださった市役所の人に聞いてみた。「牧之原市の主要な産業は何でしょうか」と。

当然、お茶やその他の農産物の名前があがるのかと思っていたら、「スズキ自動車、TDK、伊藤園」というメーカーの名前が出てきた。少し意外な感じがしたが、こうした企業が地域の雇用を支えているということなのだろう。

この話は何ヵ所かに書いたことだが、日本の地域経済の実態を考える上で象徴的な事例であると思う。農村地域とはいっても、農業だけで食べていけるところは非常に限られている。多くの地域では、工場が重要な雇用の場を提供している。

このことは、日本の農業者の多くが兼業農家であることと関わっている。要するに農業だけで食べていくことはできない。そこで農業は片手間になり、主たる収入は工場や役場や農協で働いて得ることになる。

残念ながら、いま、地域から工場が出て行こうとしている。海外に工場を設立したので、国内工場がいらなくなるというケースもある。企業が破綻したり吸収合併されたりして、工場が閉鎖されるケースもある。国内の自動車や電機の会社に部品を卸していた地場の中小企業も、海外に出て行くか、工場を縮小あるいは閉鎖する判断を迫られている。

地域で展開されている工場は、海外の工場立地とコストで競争している。グローバルな競争を迫られている企業は、少しでもコストが安いところに工場を展開しようとする。すると、どうしても日本の地方の工場を閉めて、海外に展開することになる。地方では空洞化が起きてしまうのだ。

■創造的破壊につながる人口移動という視点

「創造的破壊」──これがこの連載の底流を流れる基本認識である。いま、地域で大きな破壊が起きている。これまで地域経済を支えていた工場が縮小し、それが地域の雇用機会を減らし、地域経済の疲弊につながっているのだ。

しかし、これは単なる破壊ではない。創造的破壊につながる動きかもしれない。その鍵となるのが、人口移動である。経済の大きな変化は人口移動に反映される。人口移動の今後の動きを読む必要があるのだ。

戦後の日本は、田舎から都市への人口移動を続けてきた。農村地域からその地方の中心都市の周辺へ、そして地方都市から首都圏などの大都市地域へ、日本の人口は大きく動いてきた。

この人口移動は、産業構造の変化と密接な関係を持っている。戦後直後には、日本の労働人口の半分前後は農林水産業に関わっていた。しかし急速な工業化によって、一次産業の人口は減り、二次産業の従事者が増えていった。その過程で農村を離れ都市近郊に人口が移動している。

そして二次産業から三次産業に産業の中心が動くことで、人口の都市への集中はさらに進んでいった。東京のような大都市で働く人の多くは、サービス関連の業種で働く人である。メーカーに勤務する人でも、東京では技術開発、マーケティング、国際業務、人事管理など、サービス色が強い業務についている人が大半だ。

ただ、こうした人口移動にもかかわらず、農村地域にも多くの人口が残ったという点が重要である。だから農業だけで食べていけない人たちが、兼業農家となったのだ。日本の農家の多くは兼業農家である。つまり、農村地域とはいっても、現実は農業と工業が混在した地域なのである。

日本全体の人口が増え続けてきたことも、こうした動きに影響を及ぼしているだろう。たしかに人口は農村部から都市部に移動しているが、総人口が増え続けたため、農村部にもそれなりの人口が集まってきたのだ。

海外の先進国の農村地域を見ると、日本の農村地域との違いがわかる。米国や豪州のような広大な土地がある国だけでなく、オランダ、フランス、デンマークといった欧州の農業大国でも、農村地域は広大な農地に少ない農家が点在している。これに対して、日本の農村地域は、その多くが農家で混み合っているという感じを受ける。その農家の多くが兼業農家であると考えれば納得がいく。

さて、今後の日本の人口移動はどの方向に展開するのだろうか。その鍵となるのが、日本の総人口が減少していくという事実だ。戦後直後から最近までは、総人口が増えていくなかで、農村部から都市部への人口移動が続いた。これからは、総人口が減少するなかでの人口移動である。

■農村人口の減少が農業活性化への道

今後も農業地域から都市部への人口移動が続くことが予想される。工場が地域から抜けていくことで、兼業農家という選択肢が縮小していくことも、そうした人口移動に拍車をかけるかもしれない。

農業地域の人口が減少する──これだけをとってみると、農村がますます寂れてしまうような印象を受けるかもしれない。たしかに、コミュニティとして見たとき、人口が減少していくことのダメージは大きい。

ただ、これまでのものが破壊されることは、ある程度は避けることができない。日本全体の人口が減少していくなかで、一つひとつのコミュニティの人口を減らさずに維持することは難しいだろう。一部の地域は人口を維持することが可能だとしても、日本の農村地域の大半は人口が減少すると考えるしかない。

逆説的に聞こえるかもしれないが、農村人口が減ることは日本の農業が活性化する大きな起爆剤となるかもしれない。農地の集約化が可能となるからだ。

日本の農業が国際競争力を持てない重要な原因は、農業労働者と農地の資源配分が大きく歪んでいるからだ。単純化して言えば、農家一戸当たりの農地があまりにも小さいのだ。だから、多くの農家は農業だけでは食べていけず、兼業農家にならざるをえない。

こうした農地の配分状況は、戦後の農地改革によるものだ。農地改革によって、地主の土地は膨大な小作農家に分け与えられた。これは当時としては素晴らしい改革であった。ただ、その結果として、わずかな土地を所有する膨大な数の自作農家が生まれた。そして彼らは、その土地を生産手段としての農地としてだけでなく、自分の資産として見るようになったのだ。

人口の半分近くが農家で、限られた農地を有効に使うという時代であれば、それでもよかった。しかし、その後の産業構造の大きな変化で、多くの人がより多くの所得を求めるなかでも、多くの農家が小規模な農地を資産として所有するという状況は変わらなかった。

兼業農家という業態はその典型で、土地の所有を維持するために農業は続けているが、現実には収入の大半が工場や役所の給料である。片手間に小規模な農業をやっている人が多いので、農業の生産性が上がるはずはない。

仄聞するところでは、オランダのトマト生産者は日本の平均的なトマト生産者の数倍の生産性であるという。二酸化炭素をハウス内に取り込むことでトマトの収穫が大幅に増えるという。専門的なことはわからないが、光合成の機能が促進されるのだろうか。プロの農家であればこうした新しい生産方法にチャレンジするのだろうが、兼業農家で片手間にトマトを作っているような農家にこうした取り組みを期待することは難しい。

さて、農村地域から工場がなくなっていったとしたら、兼業農家はどうなるのだろうか。兼業農家にとってみればこれは生活基盤が揺らぐ大変な問題である。その意味では生活基盤の「破壊」である。ただ、農村部で兼業農家を続けることが難しくなれば、長期的には農村の兼業農家は減少していくだろう。都市部へ移る人もいるだろうし、専業農家としての生活を考える人も出るかもしれない。

日本の農業の活性化のためには、農家一戸当たりの農地面積を増やしていく必要がある。別の言い方をすれば、一定の農地当たりの農家数を減らす必要がある。ようするに兼業農家の数が減って、農地を専業農家やプロ農業に集約していく必要があるのだ。

農村人口が減ることが日本の農業の活性化につながる──逆説的に聞こえるかもしれないが、これこそが日本の農業を活性化する鍵なのだ。そのプロセスは創造的破壊とも言うべき厳しい道かもしれない。しかし、これは日本の農業が通らなければいけない道なのだ。

私は海外に行くと田園地帯を訪ねるのが好きだ。フランスでもオランダでもデンマークでも、郊外に広がった農村地域は素晴らしい景色だ。集落の人口は少ない。農家が密集している感じの日本とはずいぶん景色が違う。

日本の田園地帯の将来は、より少ない農家がより大規模に先進的な農業を展開することである。そうした姿に少しでも早くなることを願っている。

■中核都市の人口が増えれば地域経済は活性化する

全国どの都道府県も人口減少の悩みを抱えている。人口減少にどう対応したらよいのか。私はこの問題についても、人口移動が鍵になると考えている。

農村部の人口が減少していくと述べた。問題は、その人口がどこに移動するのかということだ。移動先として、それぞれの地域の中核都市が考えられる。中核都市の人口を増やすことができれば、そこに集積の利益が生じるからだ。

人口50万人以上の規模であれば、集積を生かして国際競争力のある都市をつくることができるかもしれない。しかし、人口20万人以下では、そうした集積を生かすことはなかなか難しい。

もちろん人口数はあくまでも目安であり、地域のさまざまな特性によって違いはあるだろう。人口が少ない町でも観光で繁栄することは可能だろうし、人口が多い町でも集積をいかした産業を育てることができなければ、経済の活性化は期待できない。

ただ、総論で言えば、地域にある程度の規模の都市を育てることが基本である。都道府県全体で人口が減少していても、その中心都市の人口が増えていけば、地域の経済は活性化するはずだ。

都道府県の枠に縛られることも問題かもしれない。経済活動は旧来の都道府県の枠組みを越えて動くものである。道州制という大きな問題をここで論ずる予定はないが、これからは旧来の都道府県の枠組みを越えた広域での集積の形成を考える必要がある。

農村部から人口が流出することが、農業を活性化すると言った。その人口の流出先である都市部は、人口の集積を拡大することができる。第三次産業が中心の社会では、集積こそが経済活性化の基本である。都道府県レベルでの人口が減少していても、都市への人口集中を実現できれば、経済が活性化する基本的な条件は整うはずだ。