さんぽ

環境関連、武術、その他、気になったことをつれづれに。

家庭のぬくもり知った

里親「裏切らない大人もいる」

高3だった3年前の春、男性(20)は里子として預けられた大阪府内の里親宅で、いきなりたんかを切った。

妻と生後1か月の長女の寝顔を見つめる男性(右)。里親の家で見た温かい家庭を築こうと、心に誓う(2月中旬)

「酒とたばこは小学生の時に終えてますんで。心配せんといて下さい」

初めて暮らす他人の家。実は戸惑い、身構えていた。「門限は夜10時」「必ずありがとうと言う」。口うるさい里母(61)に、「自分の家と思ってや」と言われても居心地は悪かった。

5歳の時に母親が再婚。2年後に妹が生まれてから食事を抜かれるようになった。空腹に耐えられず家にあった金でパンを買い、両親にばれて靴や傘でめった打ちにされた。寝床は玄関の上がり口。居間から聞こえる妹らの笑い声を、冷たい床の上で毛布にくるまって聞いていた。

小学校高学年で万引きや車上荒らしを繰り返した。学校に呼び出された両親に担任の前で何度も殴られた。学校が警察に通報し、児童相談所(児相)に保護されて児童養護施設に入った。

荒れた生活は変わらず、中3で非行少年らを指導する別の施設に変わったが、暴力ざたを起こし、3年後、里親委託になった。

自立したくて高2から居酒屋でバイトを始め、里親宅で暮らしてからも続けていた。たびたび門限を破っていたが、帰宅が午前2時になった時、里母に「未成年がこんな遅くまで働いてどうすんねん。店に抗議する」と、すごいけんまくで叱られた。「一生懸命やってるんや。ぶちこわすようなことすんな」。バイトを続けたくてどなり返し、大げんかになった。

それでも、里母は翌朝、いつものように弁当を作ってくれた。バイト先で着るかっぽう着にもアイロンをかけてくれていた。

大手の電気工事会社に就職が決まった時、里母は自分のことのように喜んでくれた。高校を卒業して家を出るまで、里親家庭で暮らして1年。血がつながっていない人との出会いが、〈親子〉のつながりを感じさせてくれた。



里母も少女時代を施設で過ごしていた。

4歳で母親が蒸発。父親はギャンブル好きで家庭を顧みず、小1で施設に預けられた。中卒で美容院に住み込みで働いたが、売上金が足りないと、施設出身というだけで盗みを疑われた。親にも社会にも見捨てられた思いだった。

結婚して14年目の1989年。実子に恵まれず、「親と暮らせない子どもたちに家族の愛情を注いであげたい」と、夫婦で養育里親に登録した。これまでに約20人を預かった。児相からの打診を断ったことは一度もない。

国は、虐待などで保護された子どもたちを家庭の雰囲気で養育させたいと、里親委託を進める計画だが、里親の数はまだ少なく、子どもたちの行き場は9割が施設、里親は1割に過ぎない。



「子どもができたので結婚します」。昨年6月、男性は電話で里母に打ち明けた。施設で一緒だった女性(20)と交際していた。

里母からは「大人の自覚できてんのか」と猛反対されたが、「お母さんとこで家庭を見させてもらいましたから」。意思は固かった。

今年1月に長女が生まれ、妻と3人で暮らす。毎朝5時に起きて仕事に行き、無断欠勤は一度もない。「娘には自分のような思いは絶対させへん」。懸命に働き、長女が大学に行くための資金をためるのが目標だ。

里母は、これまでも、これからも、男性ら里子たちに伝えていく。「裏切らない大人がいる。ほんまにしんどかったら駆け込む家がある」と。



里親 親の虐待などで養護が必要な18歳までの子どもを自治体の委託で育てる。〈1〉親の引き取りまで家庭で預かる養育里親〈2〉虐待を受けた子どもらを受け入れる専門里親など4種類。昨年度末で計7669世帯が登録し、うち2971世帯が3876人を受け入れている。

(2012年3月7日 読売新聞)

−−−−−−−−−−

『懸命に働き、長女が大学に行くための資金をためるのが目標だ。』

そんなささやかな願いをもつ人達こそ、救われるべき。