あなたの仕事はなぜシュリンクしていくのか? 構造不況に絶望するより自分の“意識”をまず見直せ
■市場が急速に縮小して行く――。シュリンク業界をどう生き延びるか
日本は今、構造的な「負のループ」に陥っている。市場が早いスピードでシュリンク(萎縮)し、生き残り競争が熾烈さを増しているなか、我々は「シュリンク業界」をどうやって生き抜けばよいのか。
様々な企業の社員や個人事業主に焦点を当て、苦境の本質を炙り出してきたこの連載も、今回で最終回となる。そこで、昨年9月から掲載した記事の内容を改めて振り返り、日本のあらゆる業界がシュリンクする背景を私なりに俯瞰し、まとめの分析としたい。
結論から言えば、売上や利益、予算、そして日々の仕事などが一部の業界で減っていくことは、不況だけの問題ではない。むろん、不況も大きな要素の1つではあるが、各業界におけるシュリンクの構造は、特有のいくつかの要因が折り重なってでき上がっており、容易に抜け出すことができないようになっている。
今後、十数年はシュリンクする業界と、現状を何とか維持できる業界にはっきりと分かれていくと思われる。「格差」と言えば、ここ数年は、正規社員・非正規社員という枠で議論がなされてきた。あるいは、中小企業と大企業という構図も、古くて新しい「格差」だった。
今後は、「シュリンク」がそれらと同じ文脈で語られていくべきだろう。シュリンクする業界で生きていく人は、企業の社員にしろ個人事業主にしろ、収入など労働条件の面で厳しい状況が待ち受けていることは避けられない。
そうした業界がシュリンクする要因とは、主に次のものである。「少子化や景気停滞などによる消費減退」「グローバル化や規制緩和による競争の激化」「ITを象徴としたデジタル化」、そして「産業構造そのものの変化」――。これらの事例を、過去の記事と照らし合わせながら検証したい。
まず、連載第1回に登場した漫画家の神田森莉さんは、ここ十数年、年を追うごとに仕事が減っている。その大きな理由には、雑誌の出版数が減り、作品を発表する場が減ったことがある。
これなどは、需要が減少しているわかりやすい例だろう。神田さんは記事掲載後、1つの仕事(月の収入は約5万円)を獲得し、現在は月に十数万円の収入を稼ぐようになった。ただし、年収は依然300万円以下。本人は「今後も仕事を増やしたい」と話しているが、前途はどうなるのだろう。
雑誌の数が減る背景には、IT化が進んでいることもある。特にここ数年、電子書籍の増加やスマートフォンなどの浸透により、読者の雑誌離れが速度を増している。ここ十数年、早いスピードで進んだIT化は、日本のあらゆる産業に多くのビジネスチャンスを与える一方、ある分野においては仕事を奪いつつあることを考えたい。
神田さんはIT化で仕事を失っていると見ることができるが、自身でブログなどを運営し、電子書籍を販売している。その意味では、ITを使って生き延びようとしているとも言えるだろう。
■産業構造の変化と共に需要が縮小 再規制でも変わらないタクシー業界
また、第4回のタクシードライバー、第5回のフリーライター、第9回の料理道具店、第17回の学習塾などがシュリンクする背景には、最大の理由として需要の減少がある。それらはIT化が絡むものもあるし、産業構造の変化も関係している。
特に、産業構造の変化と共に需要が減少することに着目したい。言い換えれば、企業としてその「変わり目」を意識したサービスなどを提供できなかったことが原因にある。
たとえば、第4回で紹介したタクシードライバーがその一例だろう。1970代前半に石油危機が訪れ、高度経済成長が終わり、低成長の時代に入った。この頃から慢性的にドライバーの売上などは伸び悩む。1980年代半ばから後半にかけてのバブル期は、その例外でしかない。
そして、1990年代後半〜2000年を過ぎた頃から、規制緩和が本格的に進む。とりわけ小泉改革による規制緩和は、市場競争を活発化させる一方、過当競争による業者の疲弊という、副産物ももたらした。結果として、タクシー社会の位置づけ(需要)が相対的に低下していることに変わりはない。
■ビジネスは需要と供給で成り立つ 行政が本来やるべきは需要の喚起策
その後、行政が再規制を行なったことで、タクシーの台数などは規制緩和前の状態に戻りつつある。それで一応は、混乱が収まりつつある。だが、ドライバーらの収入にはさほど変化がない。それもそのはずで、不況で乗客が増えていないからだ。
大切なのは、こうした時期だからこそ、タクシー会社が需要を喚起する策を矢継ぎ早に打ち出すべきなのである。ビジネスは需要と供給で成り立つ。法律の力でこのバランスを一定期間、安定化させようとしたところで、その商品、製品、サービス、企業、産業に需要がない限り、それらは消えていかざるを得ない。
本来行政がやるべきは、このことを踏まえ、多くの人の需要を喚起する策をタクシー会社が打ち出しやすいよう、支援していくことなのではないか。
やや話が広がるが、現在、デフレ・円高からの脱却を目指して自民党政権が推し進めるアベノミクスも、実体経済を強くして需要を喚起するという方向性を目指す意味において、そのこと自体は好ましいことなのだと思う。
さらに踏み込むと、需要と供給の関係が成立しない業界や企業、さらには人を、いつまでも行政や法律などの力で守り続けることは、避けた方がいい。中長期的に見れば、一定の範囲で淘汰を意識して政策を進めることも、やはり必要なのである。
シュリンクを最小の被害で食い止めるためには、需要と供給のバランスが崩れ、ビジネスを継続することができない者を市場から退場させることが不可欠な場合もあることを、これまでの取材を通して筆者は実感した。
第11回の自動車教習所(上北沢自動車学校教習員・斉藤孝行氏)のケースもまた、このような文脈で捉えられる。自動車教習所業界は、ここ20年、少子化の影響をまともに受け、需要が大幅に減少した。
ただしこの事例の特徴は、自動車学校教習員の斉藤さんが私との話し合いでも認めていたように、すでにシュリンクの構造から多少なりとも抜け出しつつあることである。
「少なくとも都内においては、2007〜08年頃までに、1990年代前半から始まった教習所の淘汰の時代は、いったんは止まったと思う。淘汰されるべきところは廃業や倒産で姿を消した。これから反転攻勢を仕かけたい」
斉藤さんがかつて勤務した自動車教習所は、倒産の憂き目に遭っただけに、その見方は冷静であり、厳しい。
違う言い方をすると、今、残っている自動車教習所はいい意味でしたたかな経営をしている傾向がある。身の丈に合った経営とも言える。その堅実経営で厳しい時代を何とか乗り越えてきた。
私の取材の実感では、この業界で需要を喚起する策を次々と打ち出す学校はなかなか現れないと思えたが、そのような策を打とうとしている業者も少しずつ出始めている。斉藤さんは、教習所の経営陣に教習生を増やすような提案をしたり、ある公共事業の入札を巡ってそこからビジネスチャンスを得ることを考えている。
同じく、第8回の社会保険労務士のケースも、需要と供給という文脈で捉えると、シュリンクする真相が見えてくる。
IT化とグローバル化の双方が折り重なり、早いスピードで進むシュリンクは、今後読者を最も恐怖に陥れるパターンではないかと私は思っている。そこで第20回でシステム・コンサルタント、第23回で外資系ソフトウェアメーカーの社員らを取り上げた。
この事例について私の考えを述べる前に、わかりやすいケースを紹介したい。3年ほど前、ある大手会計事務所に勤務する30代後半の女性が、私の元へ労働相談に訪れた。その事務所は、会計士を支援する後方部隊、つまり、人事・総務・広報・営業、さらに翻訳の部署を大胆に縮小した。
翻訳には10人近くの社員がいたが、その多くがリストラとなった。今後彼らの仕事を、中国の大連の翻訳会社に外注するのだという。流暢に日本語を使える中国人が、日本国内よりもはるかに安いコストで翻訳をする。
しかもそのレベルは、この女性によると、日本人の翻訳とさほど変わらないという。日中間でも意思疎通はメールで十分行えるため、当然、東京の会計事務所は大連に仕事を発注する。インターネットで「中国・大連」と検索すると、このような事例が数え切れないほどヒットする。特に翻訳や印刷などは目立つ。まさにIT化とグローバル化が進んだ、象徴的なケースと言えよう。
■国内事業が空洞化すると語学力が生き残りの術になる?
このような背景を押さえた上で、システム・コンサルタントやソフトウェアメーカーのシュリンクを考えたい。ソフトウェアメーカーの男性が語っていたことが、印象的だった。
「日本国内から海外に工場や支社が出ていくと、我々の仕事がない状況になる。結局、海外との通訳のような立場となり、語学力こそが大切となる。実働部隊が海外にいる以上、ソフトウェアメーカーとして日本法人の社員は実際に自分の指を使い、つくる機会が大幅に減っている。こういう力はあまり求められず、語学こそが生き残りの武器となる」
全ての業界における外資系企業の日本法人について、言えることではないだろうが、外資の空洞化が進むと、そこで働く日本人がぶつかる壁なのだろう。こういうケースを取材していると、そこで働く会社員は、身を守る術がないように思える。外資は給与が高いから、ある程度のペースで貯蓄をし、万が一に備えている人も多いだろう。
さらに40代以上になると、いくら外資系とはいえ、職種によっては「外資から外資へ」という転職も相当難しくなる。それを踏まえ、独立しても生きていくことができる体制を身に付けておく必要がありそうだ。
■「プロフェショナルであれ」は本当か? 大切なのは自分の意識を変えること
巷に出回るビジネス書などでは、「プロフェッショナルであれ!」と、会社を離れ、生きていくことを称える風潮が依然としてあるように思える。だが、この路線は茨の道であり、多くの人は挫折する可能性があることも否定できないだろう。
第22回で、労働条件が劣悪な業界といわれるアニメーター業界を取り上げた。その内容はひとことで言えば、労使紛争である。ここで考えるべきは、その背景ではないだろうか。
メディアは労使紛争を捉えるとき、「経営 VS 労組」というくくり方が多い。事実関係としては誤りではないのだが、私は疑問も感じる。解雇にしろ、退職強要にしろ、その背景にはIT化やグローバル化、さらに需要の減少、産業構造の変化などが何らかの形で関わっている場合がある。そこにメスを入れないと、同じような形の労使紛争は繰り返されるように思える。
誤解なきように言えば、不当な行為があるならば、それはそれで問題視されるべきである。だが、「経営 VS 労組」という視点だけでは、真相には迫れない。そのことを言いたい。
これまで述べてきたように、シュリンクする業界にはいくつかの要因がある。それぞれが複雑に折り重なり、不況を一段と深刻化させている。今後、大胆な金融緩和、財政出動、成長戦略などが行なわれたとしても、私はこれらの業界の状態は大きくは変わらないと見る。
シュリンクの最大の原因は、実は私たちの意識や考え方にあるからだ。「世間が悪い」と嘆くばかりでなく、「自分の仕事がなぜシュリンクするのか」を客観的に分析し、意識を変えていかない限り、抜け出すことはできないだろう。
あなたは、シュリンク業界で生き残ることができるか――。その答えは、私たちの意識をどれだけ変えることができるか、ではないだろうか。
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