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(14)障害持つ子との対峙が私を変えた スポーツ指導「命と向き合っている」認識を 丸山健治さん

2013.2.7[westピックアップ]

女子バスケットボールのエバラヴィッキーズ(荏原女子バスケットボールチーム)。チーム名には、「勝利」「激しさ」だけでなく、「勇気」「誠実さ」も込められている。

 「亡くなられた選手の無念さを思い、同じバスケットボールの指導者として非常に心が痛く、やるせない気持ちでいっぱいです」。大阪市立桜宮高校の問題を受け、一人のバスケ指導者からお便りが届いた。女子日本リーグ荏原製作所(現・エバラヴィッキーズ)の元ヘッドコーチ、丸山健治さん(57)=横浜市。国内トップレベルでの指導のほか、中学教員の経験もある丸山さんは、指導者の心情を踏まえつつ「子供たちの自己表現の場を『暴力』という非道な権力手段で奪うことは決して許されない」と訴える。

 丸山さんは、学生時代に日本トップクラスのチームで活躍した後、大阪府東大阪市の市立中学校で教員を務め、バスケ部を指導。その後、大学や短大、社会人のチームを率いて優れた成績を残した。

 中学教員となったのは、校内暴力が社会問題化していた昭和50年代。当初はもどかしさが先立ち、バスケで暴力的な指導をすることもあったが、ある男子生徒との対峙(たいじ)をきっかけに、自らの「未熟さ」を恥じた。

 練習中にミスを重ねる1年生。「なぜ?」と怒りがわき、ときにはボールを投げつけたりした。理由が分かったのは約2年後。生徒の母親から涙ながらに感謝されたことからだった。

 生徒は軽度の小児まひで手に障害があった。母親は「バスケをするようになって、少しずつ関節が動くようになった」と喜んだが、強い衝撃を受けた。「全く気付かず怒り続けていた。自分は全て分かっているつもりで指導していたけど、何も見えていなかった

 このときから丸山さんは、暴力的指導を一切やめた。生徒との話し合いの時間を多く持ち、互いに問題意識を持って練習に取り組むようになると、弱体だったチームは大阪府大会で優勝するまでに成長した。

×   ×

 「指導者は、とてつもない孤独感に陥ってしまうことがある」。丸山さんはしみじみ感じている。

 「経験、実績を積み重ねると、誰も忠告や助言をしてくれなくなるし、迷っても悩んでも誰にも聞けなくなり、自分がどこにいて、どっちに進んだらいいのかすら分からなくなる」

 指導力のなさへの不安と孤独感から、その気持ちを暴力という形でしかぶつけられなくなる。自分でも抜け出すことのできない「負の連鎖」にはまる−。「そこには指導者としての限界があり、心の闇がある」

 丸山さんは、自殺した生徒に体罰を加えていた桜宮高のバスケ部顧問について「未熟で孤独な指導者の典型」ととらえるが、「彼にも熱意はあったはず。校長など誰か、気付かせてくれる人はいなかったのか」とも感じる。そして「桜宮高のようなケースは、氷山の一角だ」と警告する。

■「被害者ほど“成長の糧”と美化しがち」

 一方で、学生時代に上級生らから繰り返し暴力を受けた経験を踏まえ、スポーツ指導上の体罰を“愛のムチ”と肯定することにも違和感を覚える。

 丸山さん自身「死にたい、逃げ出したい」という気持ちに追い込まれたが、卒業してからは「成長の糧だった」と美化していた時期もあった。「あのときの経験が自分を強くしたんだと思わなければ、理不尽な暴力を受けた生活をどう表現したらいいのか分からなかった」。体罰の肯定は、自己否定を避ける気持ちの裏返しだと感じている。

 「あの時代は、どんなことがあっても耐え抜くことがスポーツ選手の美学だった」。丸山さんは、桜宮高の問題を「絶対封建の縦社会が生んだ日本スポーツ界の気質そのもの」とみて、強く訴える。「指導者は『命と向き合っている』ということを認識して指導にあたらなければ、選手を尊重した指導はできません」