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「常に自分は正しく、相手が悪い」が招く結末とは

ちょっとコラムでまた見つけた。

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今回、私が最近会った2人の女性の話をもとに会社員の生き方を考えたい。2人の女性はAさんとBさんとしよう。

Aさんは40代後半で、特に30代後半〜40代の女性から人気がある職業の“カリスマ”と言われる。この職業について具体的に書くことは特定できうるので避ける。

一方のBさんは数カ月前にAさんの弟子になった。40代半ばで、以前はフリーの編集者をしていた。20代のころに結婚したが、夫と死別。その後、会社を辞めて、フリー編集者として仕事をしていた。だが、仕事に行き詰まり、本人いわく「ある日、吸い込まれるようにAさんの弟子になった」という。

(中略)

Bさんとは、ある会合で名刺を交換した。その時、初対面でありながら彼女はこう話した。「出版業界は慢性的な不況。出版社の多くは、お金にルーズ。支払いがよく遅れる」「クライアントである出版社の編集者は仕事ができない」「私は未亡人」……。AさんはそんなBさんを「自らの弟子」として紹介し、すぐ横の椅子に座らせた。

私がAさんに取材を始めると、かつてはフリーの編集者をしていたと話す。「お金の支払いにルーズな出版社に交渉をして……」などと、批判とも愚痴ともとれる内容だった。そして、「夫とは価値観の違いが大きく、別れた」と付け加える。

AさんとBさんは似ていた。2人とも夫と別れている。Aさんは離婚、Bさんは死別。さらに取引先である出版社を批判する。もう1つの共通項があった。それは自分を責めないこと。例えば、ルーズな出版社と仕事をせざるを得ない状況を作ったのは自分であることや、自分の力がもっとあればきちんとした会社と仕事をすることができた、と振り返ることをしない。

取材を終えようとすると、Aさんはこう言った。「私に子どもがいないのは、前世からの因縁。前世で私をうらんだ親子の霊がこの世に来て、私が離婚するようにさせた」。今度は、横にいたBさんが答える。「私は夫と死別し、未亡人になったり、仕事が行き詰まった。それも前世からの因縁」。私は、返答に困った。こういう話には関心がない。

私はこの20年ほどでさまざまな取材をしてきたが、今回の取材は解せないものが多かった。その後、こういう職業に詳しい知人に聞くと、こう答えた。

「その職業につく傾向があるのは、アラフォー(40代以上)の女性で『もっと自分は幸福になってしかるべき』と思い込む。だけど、いつまでも幸福にはなれない。その理由は自分にある。自分を変えない限り、幸福にはなれない。ところが、それを認めない。そして、前世などにその理由を求める。絶対に自分は正しく、悪いのは相手と思い込む」

2人の女性に接した限りでは、この指摘は言い得て妙な気がした。ただ、私が問題視するのは、その職業ではなく、彼女たちの生き方とか考え方である。きっとこの知人もそれが言いたいのだろう。そもそも「常に自分は正しく、常に相手が悪い」ということがありうるのだろうか。

●自分に極端に甘く、他人に極端に厳しい

ここで思い起こしたことがある。それは会社員のころに横に座っていた、当時20代後半の女性だった。とりあえず、Cさんとしよう。この女性も上司や会社を批判し続けた。彼女は異動でそこの部署に来た。その時、私は上司から「Cさんは前の部署の3人の先輩女性に逆らい、追い出された」と話した。

仕事を始めると、上司の指摘は正しかった。誰に何を話すのでなく、1人でめちゃくちゃに仕事を進める。例えば、上司の了解を取った上で取引先にお金の額を提示すべきなのだが、それをしない。挙げ句にその取引先と摩擦を起こす。本人いわく、会議の場で「(誰にも指示などを)言われたくない」と明言する。

ここまでのトラブルメーカーでありながら、上司や会社を批判した。Cさんはそれまでに私が見た20代の社員の中で、職務遂行能力が一番低かった。会議の議事録すら、きちんと書けなかった。Cさんは労働組合の組合員であり、その場では生き生きしていた。前述の、AさんやBさんが夫やクライアントのことを批判する時の表情と同じだった。

あるいは、数年前、専門学校で30代前半までくらいの社会人を相手に教えたことがあるが、その時、20代後半で会社のあり方を非難する女性がいた。彼女はDさんとする。さらにそこには、30代前半の男性で勤務先の会社を批判し続け、職を転々とする人がいた。その時は無職だった。彼はEさんとする。

DさんもEさんも、会社や上司をなじる。私はそれを見ていて自分の20代のころに近い気がした。言いたいことは分かるような気もしないでもなかったが、気の毒に見えた。2人とも仕事をする力は、同世代のきちんとした会社員に比べ、著しく低かった。2人からのメールを読む時に、その意味が理解できない。送られるたびに、それを見るのが億劫だった。

ここまで紹介した5人の共通項は自分に極端に甘く、他人に極端に厳しいこと。特定の職業の世界に行くのもよし、労働組合活動にいそしむのもよし、専門学校に通い、会社を批判するのもよし。ただ、今の家族や勤務する職場、与えられた仕事を否定している限り、人生は上手くいかない。

目の前の現実から逃げると、それが形を変えてどこかのタイミングで襲い掛かる。その現実を作ったのは、その人の意識でしかない。意識を変えない限り、人は不幸から抜け出せない。この人たちは、そのことを見失っているのではないだろうか。

最後に、私の知人の言葉を考えたい。「『もっと自分は幸福になってしかるべき』と思い込む。だけど、いつまでも幸福にはなれない。その理由は自分にある。自分を変えない限り、幸福にはなれない。ところが、それを認めない」

私は30代前半までくらいまでは、この言葉の意味が分からなかった。いまは、痛いほど身に染みる。
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よくある話で聞くだけで嫌な感じが残る訳だが。
あるお客様のところでも似たような話を伺った。本当にどこにでもある。
それだけにその「人」によって仕事も何も変るんやな、と思う。
特に自分の事しか考えずく、他人を蹴落として知らんぷり、
と言われるような昨今の世の中は。

少林寺拳法の教えに傾倒する訳ではないが、開祖は
「人、人、人、すべては人の質にある」
と説いた。
いい事言うぜ、宗道臣

今の歳になり、自分自身に対する厳しさや客観的に自分自身を見る目があるか、
という事がとても気になる。
仕事のレベルはまだまだ低く、世の中もまだまだ知らないひよっこだけに。

仕事はまだまだでも、せめて人間的には周りに認めてもらえる人に変わっていきたい。