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なぜ、ハーバードの学生は東大生より自信があるのか

ダイヤモンド・オンライン2014年2月24日(月)
前回(2月20日)から始まった全5回連載では、『自信は「この瞬間」に生まれる』を刊行され、ハーバードで「ベストティーチャー」に選ばれ続けた日本人教授、柳沢幸雄さんに「自信」の秘密を教えていただきます。

今回は、ハーバードの学生と東大生、それぞれの「自信」についてうかがいます。両大学で10年以上、学生を教えてきた柳沢先生から見た、ハーバードの学生と東大生の最大の違いとは?

■ハーバードの学生と東大生のあいだに学力の差はほとんどない

 私がハーバード大学と東大でそれぞれ10年以上にわたり教鞭をとってきた経験からいうと、両大学の学生のあいだには能力や学力の面でそれほど差はありません。むしろ、18歳で大学に入学する時点では、東大生のほうがすぐれているといってもいいでしょう。

 能力の点で差がないにもかわらず、東大生はどこか自信がなさそうで、ハーバードの学生はいつでも自信満々です。授業をしていても、ハーバードの学生は躊躇なく手を挙げて発言します。

 ハーバードに留学している日本人のあいだからは、「大したことを言っているわけでもないのに、どうしてあんなに堂々と話せるんだろう」という陰口にも似た声が聞こえてくることもしばしば。確かに教える側から見ても、結構いい加減なことを言っている人も多いような気がします。

「発言しない人=存在感ゼロ」とされるアメリカの社会のありかたから、自然とそうなるのかもしれませんが、両者の違いはどこから生まれるのでしょうか?

■なぜ、東大生は無口なのか

 実を言うと、アメリカから帰国して初めて東大で教壇に立った時、私はショックを受けました。

 学生たちに覇気がなく、その目は死んでいるようだったからです。私があれこれ質問をぶつけても、隣の人を見るばかりで自分から口を開こうとしない。思わず「私は君に話しかけてるんだぞ!」と言ってしまったほどです。

 これではいけない。東大生に口を開かせるにはどうすればいいか。

 考えたあげく、学生全員の名前をカードに書き、シャッフルして抜き出たカードで回答者を指名していくことにしました。発言することに対する心理的バリアをなくすために、最初は「今日は何日?」「今日の天気は?」といった質問を投げかける。やがて環境問題に入り、「水俣病とは何だと思う?」と問いかけていきます。

 ただし、一つだけルールがあります。「以下同文」はダメ。

 前に出た発言と同じ発言をするのは禁止したのです。実は、これがなかなか難しい。最初の数人までは即答できても、10人を超えたあたりでみんな、音を挙げはじめます。こういうことを繰り返して、ようやく東大生をしゃべらせることができたのです。

 考えてみれば、東大生が口を開こうとしないのは不思議なことでも何でもありません。東大に合格するくらいだから、みんな小学生の頃から勉強はできたはず。ところが、日本の学校では、勉強のできる子ほど親や先生から「おまえは(授業の内容を)わかっているんだから、黙っていなさい」と言われますし、クラスメイトからは「ガリ勉、ガリ勉」と揶揄される。となると、黙っていることが一番賢い選択になるわけです。

 だから日本では、頭のいい人ほどしゃべらず、それが社会全体として大きな損失になっているのです。

■脳が育つ「2:1の法則」

 脳は、発言することで育ちます。

 逆にいえば、しゃべらなければ、人間の思考は停止します。

 東大生は無口だと言いましたが、大学入学時点でとても優秀でも、そのあと学生時代の貯金をどんどん食いつぶして、40代で伸び悩むのが日本人。私はこの原因が「発言不足」にあると思っています。一方、内容が正しかろうが間違っていようがとにかく発言しまくるアメリカ人には、そういう「落ち込みの時期」がないように感じます。

 発言は、いわば真剣勝負の「他流試合」です。自分の持ちうる知識を総動員して発言し、反論されたり論破されたりしても、また発言を繰り返す。ところが、発言という他流試合を放棄して、不戦のまますごしていくとどうなるでしょう?

 戦わないので「負け」はありません。そこで、大半の人が「不戦勝だ」と自分に都合よく解釈してしまうのです。不戦勝のまま生きてきた人は、他者とぶつかった経験がないから成長しません。自分に何が足らないのかわからないのです。

 ですから、成長を続けたいなら、発言をやめないこと。

 私が大切にしているのは「2:1の法則」。子どもにしろ、学生にしろ、人を育てる時には、自分は1、相手は2発言するように心がけています。育てられるほうに倍しゃべらせる。極論をいえば、しゃべらせておけば脳は勝手に伸びていきます。

 みなさんも、会議やミーティングで発言を躊躇することがあるかもしれません。でも、「完璧なことが言えるようになってから手を挙げよう」なんて、考えていたら、「不戦勝」のまま人生が終わってしまいます。自信がなくても発言する。そのうちに、気づくと自信は生まれているのです。