さんぽ

環境関連、武術、その他、気になったことをつれづれに。

「日本刀」 第2話 『今なお底知れない鉄のナゾ』


玉鋼の塊。

 日本刀製作には、原料となる砂鉄を探すところから、鞘や柄、鍔(つば)などの刀装具作りまで、実に数多くの工程が存在する。

 そのうち刀匠が携わる仕事は、たたら製鉄で出来上がった玉鋼(たまはがね)を薄くのばす「水減し(みずへし)」から始まる。その後、「小割り」「選別」「積み重ね」を経てようやく日本刀となる素材が整う。その後に火を使う工程の「積み沸かし」「鍛錬(下鍛え[きたえ])と、上鍛えに分かれる)」「造り込み」「素延べ(すのべ)」「火造り(ひづくり)」を経て、日本刀の大まかな形状が出来上がる。

 そこからヤスリやセンと呼ばれる道具で鉄を削って形を整え、さらに、荒砥石をかけて表面を平らにする。その次が、鋼の組織を刃物に適したものに変化させる工程となる。まず表面に焼刃土(やきばつち)を塗る「土置き」を施してから、加熱、急冷する「焼入れ」、「合取り(あいとり)」と呼ばれる熱処理を行なうのである。焼入れの瞬間、温度差で鋼がぐっと上反ることで、日本刀独特の反りのある形状が完成する。


 玉鋼の塊を火床(ほど)の中で赤める水減しから刀匠の仕事は始まる。

 「ひずみ取り」を終えた後は、仕上げの工程となる。砥石で大まかに研ぐ「鍛冶押し」でほぼ完成に近い形状まで仕上げ、研ぎ師にまわす。場合によっては、この段階で刀匠が彫刻などの装飾を刀身に施すこともある。研ぎ師による「下研ぎ」の後、白木でできた白鞘を作られ、これをさらに精密に研ぐ「仕上げ研ぎ」が施される。これらが終了して戻ってきたら、刀の握りに相当する茎(なかご)に自身の銘を刻む「銘入れ」を行なう。これで、刀匠の仕事は終了し、あとは柄や鞘、鍔などの刀装具の専門職に、我が身の分身とも言うべき日本刀を託することになる。

 そんな刀匠の仕事を、現代を代表する刀匠のひとりである河内國平(かわちくにひら)に見せていただいた。


ふいごで作られた風が、羽口から火床の中に送られ、炭が赤くおこる。

「奥底に秘められた美しさとでも言うんやろうか。名刀と呼ばれる作品にはそれがあると思う。例えば正宗(まさむね)なんかは、見るたびに変わりよる。はたちのとき見たのと、50歳で見たのと、まるで印象が違うんやからな」

 名刀の代名詞にもなっている正宗の作品に託して日本刀の持つ深みを表現する河内には、二人の師がいた。大学卒業後すぐに入門した宮入昭平(みやいりあきひら:後に行平[ゆきひら]に改名)、その宮入から独立した後、再入門した隅谷正峯(すみたにまさみね)である。いずれもが、現在まで6人しか認定されていない人間国宝の指定を受けた名匠である。その二人に学んだ河内もまた、日本美術刀剣保存協会で「新作刀展無鑑査」という、現代刀匠として最上級の評価を得る名匠として知られる存在である。


赤まった玉鋼の塊を叩いて延ばしていく。

 現在67歳。もちろん現役である。奈良の東吉野に居を構え、弟子たちを指導しつつ新たな作品を世に問い続けている。

 その彼が日本刀の素材として用意した玉鋼のざらざらとした肌合いの黒い塊を見ると、それが精緻で透明感のある日本刀になるとはにわかには信じがたい。無骨な塊の組成は均一ではなく、炭素量の異なる部分が混ざり合っており、さらには多くの不純物を含む部分がある。水減しから始まるいくつかの工程で、不純物が多い部分は除き、炭素量の多い部分と少ない部分を細かく選別、分類するのである。

 まずは、適度な温度にまで火床(ほど)で赤めて、薄く煎餅状に叩きのばす水減しを行なう。さらに次の小割り仕事で、薄く延ばした玉鋼を鉄敷(かなしき)の上で細かく割っていく。ぱし、と気持ちよく割れる時もあれば、湿った煎餅のように、ぐにゃりと曲がり何度か叩いてようやく割れるものもある。割れ口は、いずれも銀色ににぶく光っている。


玉鋼を火床の中で赤めて叩く工程が繰り返される。

 その細かく割った破片を河内は一つずつ見分け、分類していく。素人にはどれも同じに見えてしまう破片だが、刀匠たちは、小割りをする際の割れ方、割れ口の組織を見るだけで、炭素や鉄滓(てっさい:スラグ、不純物)の多寡を一瞬にして判別してしまうのだ。
「ほら、よく見るとわかるでしょ。こんな風に結晶になっているところは炭素が多すぎる。一番いいのはここらへんですよ、粒子が細かくて」

 そう説明しながらも河内の手は止まらない。小割りにした玉鋼の割れ口をちらりと見ながら、それぞれの等級に応じて決められた缶の中へ放り込む。これら小片の組み合わせ方で地鉄(じがね)の出来上がりが大きく左右される。なんとも無造作にみえるが、玉鋼の炭素量を読み抜く刀匠の「目」の良さがものを言う大切な工程だ。


次第に塊が薄く延ばされていく。

 玉鋼を選別し終えたら、今度はそれらを「てこ台」の上に積み重ねて、火床(ほど)の中で「積み沸かし」を行なう。この工程で、細かく割った鋼をまとめて一つの塊にするのである。

 ちなみに現在、玉鋼は、主には島根県仁多郡奥出雲町にある財団法人日本刀剣保存協会の「日刀保(にっとうほ)たたら」1カ所でのみ作られている。それ以外にも、自分たちの微妙な好みや理想に合致した素材を手に入れるために、小規模なたたらを作るなどして自家製鋼を行なう刀匠や研究者もいる。だが、満足のいくものを作るのは相当に難しいようだ。
「結構、はやっていますよ。大学の先生方もやっている。藝大でも作りましたし」


延ばされた玉鋼を溝のある鉄敷(かなしき)の上で叩いて割っていく小割りの工程に入る。

 河内が非常勤講師を務める東京藝術大学でも自家製鋼を試みたことがあるそうだ。生鉄(なまがね:炭素量の少ない鉄)、鋼、銑(せん:炭素量の多い鉄)の入り交じった「けら(金へんに母)」ができることはできた。けれども炭素分が不足していたらしく、これを使って河内が刀を作ってみると、軟らかすぎて「刃が眠たくなってしまった」と言う。

 このようなときに使う加工技術に「卸し鉄(おろしがね)」というものがある。現在の玉鋼の一級品は炭素を1.0%から1.5%含有している。この炭素量が多すぎても少なすぎても刃物として使いにくい素材となってしまう。そんな炭素の量が不適切な鉄素材に炭素を含ませたり脱炭させて、刃物に適した鋼に作り変える工程が「卸し鉄」である。良質な鋼を手に入れることが非常に難しかったであろう近世以前には、刃物鍛冶たちにとって欠かせない技術であったと考えられている。


割れ方や割れ口の状態で炭素量などを見極めて、選別を行なう。

 ある程度安定した品質の玉鋼が手に入るようになった現在においても、この技術は不可欠なものだ。
「卸し鉄で、本来は刀に向かん古い鉄が使えるようになるわけや。これなんかは時代ものの和釘やけど、鋼やない。炭素量の少ない生鉄や。この生鉄に炭素を含ませて使うねん」

 供給される玉鋼だけを使うのではなく、卸し鉄をした材料を混ぜることで、複雑で独特の表情を持った地鉄ができる。だからこそ、卸し鉄をやる楽しみがあると河内は言う。

 古い和鉄を混ぜて地鉄を鍛錬することで、近世以前の名刀の地鉄が持つ表情により近づく可能性も高まる。過去の名工たちも、その作品から察するに、苦労して地鉄の材料を集め、卸し鉄を行なっていたと思われるからだ。


水減しされた玉鋼。

 その卸し鉄の技術も、一時期はほとんど絶えてしまっていた。それを河内の師である宮入が復活させ、伝承させた。だから、その弟子でもある河内が「鉄を鋼に変える技」にかける思いは深いようだ。ただ、炭を大量に使って高温を保って鉄を溶かすなどして火床をいためてしまうこともあり、河内は年に1回程度、まとめて行なっているそうだ。

 卸し鉄に限らず、日本刀に使う鉄は、ほぼ和鉄に限られる。同じ鉄であっても、近代以降に西洋で発達した製鉄法で作られたいわゆる洋鉄と、たたらのような日本の伝統的製鉄法で作られた和鉄では、雲泥の差があるらしい。
「簡単に言うと和紙と、コピー用紙のような洋紙の違い。和紙はいろいろ入っていてガサガサしてる。でも味があるやん。しかもすごく丈夫。コピー用紙はつるつるしててすごくきれい。けど、味わいは和紙には及ばんし、第一破けやすいわ」


小割りされた玉鋼。割れ口が銀色に輝く。

 溶鉱炉で溶解して組織を均一にする洋鉄に対して、たたらで低温還元する和鉄は、玉鋼を使う際も、小割りで選別が必要なほどムラがある。そして微量の鉄滓が鉄に混じる。酸化物系介在物であるそれらは、柔らかく延びやすい性質を持ち、刀鍛冶が鍛錬をすることで、他の鋼を使った時とはまるで異なる強靭さを鋼に与えることとなる。さらに熱処理を施しても、焼きが入らない部分となり「景色」と呼ばれる鑑賞上のポイントともなる。このような「折れず曲がらず」を具現化する地鉄の強靭さや「潤い」と呼ばれる肌合い、優美な刃文の変化などは、均一な洋鉄では出すことが極めて難しい。
「鉄以外のものが、溶けないで残っていて、互いに引っぱりあっとるねん。そんな和鉄を使うところが日本刀の面白いところですわ」。そう語る河内の作品は「地鉄に冴えと潤いがある」と評するのは、元日本美術刀剣保存協会のたたら課長であり、新作名刀展審査員でもあった鈴木卓夫である。


小割りした玉鋼を「てこ台」に積み重ねる。石垣のようにすきまなく、さらに一番上の部分を叩くことで、全体にまんべんなく力がかかるように計算して積み上げられている。

「河内さんの作品は、精錬、つまり鍛錬がいいんですよ。精錬がいいから、地鉄が透明でありながら、ねっとりとした柔らかさと深みがある。地鉄の冴えと潤いの妙味という点から見れば、河内さんが現代で一番じゃないかな」

 鈴木が刀剣界特有の表現でそう言い表す地鉄は、折り返し鍛錬が適切に行なわれており、組織にある程度の均一化が計られている。とは言っても、均一性の程度は製鋼所で球状組織に整えられた現代鋼とは比較にもならず、さらに叩いたことによる内部応力も残っている。だから性能も劣る、と言われても不思議はない。ところが、現実はそうではない。適切に鍛錬された和鉄なればこそ得られる「しんなりがたい」と表現される芯のある研ぎ心地や切れ味があるとされているのだ。つまり、河内が鍛錬した鋼は、鑑賞の対象として美しいだけでなく、刃物としての性能も卓越しているというのだ。


玉鋼を和紙でくるんで、崩れないようにする。

「日本産の鉄で不思議なのは、鍛錬することで初めて成熟するというところです。こういった性質を持つ鉄というのは、世界でも例がないと言っていいのではないでしょうか。とにかく不思議な鉄です。最初は粘りが悪くても何度も折り返すうちにどんどんよくなっていく。玉鋼をそのまま使っても刀にはならないですね。でも、折り返し鍛えて成熟させていくうちに、刀にすごく適した地鉄になっていく」

 鈴木は、東京都刀剣登録審査員をはじめとする要職を歴任しつつ、戦後途絶えかけたたたら製鉄の復活に深く関わってきた。そして、たたら製鉄、それによって生み出される玉鋼の魅力と謎にがっちりと心を掴まれてしまう。以来、玉鋼の研究に没頭し、その成果によって博士号まで取得してしまうほどの熱の入れようだった。その彼をもってしても、未だに玉鋼は謎だらけの不思議な鉄なのだという。


水をかけて密着させた和紙の周りに藁灰をつける。

 日本でのたたら製鉄は、5世紀から6世紀に始まったとされる。そもそもは大陸から伝わってきたものだった。しかしその製法は、日本の風土に合わせて次第に変化し、いつしか鞴(ふいご)で風を送りながら木炭で砂鉄を低温還元するという、日本特有の製鉄法になっていった。

 それから1000年以上の長きにわたって日本の鉄製品全般の素材を供給してきたのがたたら製鉄である。ところが江戸末期頃から洋鉄が流入し始めるや、たたら製鉄は徐々に姿を消していく。その後、溶鉱炉による製鉄法が本格普及し、刃物鋼などに使う「るつぼ鋼」などが輸入されるようになり、たたら製鉄の淘汰は加速していった。


藁灰の他に泥汁もかける。いずれも芯の部分までまんべんなく鋼を「沸かす」ための工夫。

 その大きな要因となったのは、たたら製鉄の量産性の低さである。品質だけでいえば、洋鉄が足元にも及ばないようなものができた。しかし同時に、箸にも棒にもかからないようなものも多くできてしまったのである。だから、手間のかかる選別、卸し鉄といった工程が欠かせない。使える素材を得るために、鍛冶たちは洋鉄の何倍もの手間をかけなければならなかった。そして、西洋式製鉄法が完全に定着した大正14年に至り、たたら製鉄は完全に消滅してしまったのである。

 安定して大量に供給される洋鉄、洋鋼は、近代の産業には欠かせない素材だった。だから他の製品は洋鉄に切り替えることも可能だったかもしれない。しかし、日本刀ばかりはそうはいかない。玉鋼を古来どおりの製法で鍛錬しなければ「折れず曲がらずよく切れる」日本刀の地鉄が生み出せないのだ。そのことを人々が再認識したのは、第2次世界大戦中に軍刀用として復活した「靖国たたら」が戦後解体され、再びたたらの火が消えてしまってからだった。


積み重ねた鋼の小片を沸かして鍛接する、積み沸かしの工程が始まる。

 戦後、刀匠たちは玉鋼のストックや、卸し鉄や自家製鋼で作った素材で作刀を続けてきた。中には、致し方なく洋鉄を使って作刀をするものもいたという。しかし、こうした方法には自ずと限度がある。古い玉鋼や和鉄を使い尽くしてしまえば、昔ながらの優れた日本刀は永遠に製作することができなくなってしまう。このままでは日本刀の伝統が消えてしまうのだ。それを憂えた有志たちが立ち上がり、昭和52年に「日刀保たたら」が操業することとなった。

 たたらが復活できたのは、関わった有志たちの情熱もさることながら、靖国たたら時代の村下(むらげ)二人が存命だったことが大きかった。たたら操業における技術伝承の勘所は、もっぱら口伝によるものだった。だから操業復活において、技師長にあたる元村下たちの存在は欠かせなかった。


細かく炭の位置を変えるなど沸かしている間も河内は忙しく動く。時には弟子を横に座らせ、ふいごの風量の調節をさせながら仕事を覚えさせることも。

 かろうじて残っていた彼らから話を聞き、実際に仕事をしてもらいながら、ひとつずつ案件をクリアしていった当時のことを、有志の一人として奔走した鈴木は「いや、本当に大変でした」と実感のこもる言葉で振り返る。今でこそ、新たな村下も養成されているが、操業が復活して2年後に、二人いた村下のうち一人が逝去している。「たたらの技術を復活させ、後世に伝える」という目標は、本当に紙一重の、ぎりぎりのタイミングで達成されたのである。

 現在の日刀保たたらは「靖国たたら」をベースにした近世たたら製鉄の手法を踏襲している。材料には、真砂砂鉄(まささてつ)と呼ばれる鋼になりやすい砂鉄と木炭を使う。炉は、保温と乾燥のため地下構造とし、土で築く。そこに木炭と砂鉄を入れ、一代(ひとよ)と呼ばれる一度の操業で、三昼夜熱し続ける。熱し続けることで不純物が「のろ」と呼ばれる鉄滓となって出てくる。


芯までまんべんなく沸かされた玉鋼が火床から取り出される。
 さらに木炭を還元剤として低温還元された砂鉄が、次第に「けら」と呼ばれる大きな塊となっていく。鋼や銑といった炭素含有量の異なる鉄素材などが混ざり合った塊であるけらの成長に伴って、炉が侵食されていく。これによって炉がやせて持ちこたえられなくなったら、炉そのものを壊し、けらを取り出す。そのけらは大型のドウ(金へんに胴)と呼ばれる鉄塊を落下させて破砕し、選別する。

 こうして作り出された玉鋼が、日本刀の材料として刀匠たちに配られるのである。

 おおまかに見て、日刀保たたらでは、一代で木炭が約12トン、砂鉄は約10トンをくべ、できるけらが約3トン近く、さらにそこから取り出される玉鋼は約1トンとなっている。歩留まりは決して高くないといえよう。


鉄敷(かなしき)の上に置かれる。

 玉鋼の他には、炭素量1.7%以上の銑や、卸し鉄用と呼ばれる炭素量にばらつきのある鉄ができる。玉鋼を含めこうした鉄すべてに言えるのは、リンや硫黄の含有量が極めて少ないことだ。

 このリンや硫黄こそが微量に存在するだけでも鉄を脆くさせる元凶であり、それらが極めて少ないことが和鉄の強靭さに大きく寄与している。ところが一般的な洋鉄は、和鉄に比べればかなり多くのリンや硫黄を含んでいる。燃料として使うコークスにそれが多く含まれていることが原因の一つと鈴木は言う。一方の和鉄の場合は、燃料に木炭を使う。この木炭には、一般的にほとんどリンや硫黄は含まれていない。


横座に座る親方の指示に従って、弟子が向こう鎚を振るい、鍛接を行なう。

 鈴木は原料や燃料だけでなく、炉の土にも注目をしている。この土に含まれる二酸化ケイ素(SiO2)が、鉄滓の出を促進させ、一方では鋼の中に残留した二酸化ケイ素が酸化鉄(FeO)と合体し、ファイヤライト(Fe2SiO4)を組成し、粘りのある良質な介在物を作る。これが玉鋼の粘りと強さを出す大きな要因であると推測しているのだ。

 日刀保たたら復活に大きく関与した日立金属はウェブサイトに、和鋼の特徴として、

◎ 鍛接しやすい
◎ 熱処理により硬く、曲がらず、粘り強くできる
◎ 研磨しやすいので、良い刃付けができる
◎ 錆びにくい
◎ 焼き境が明瞭に出るので、日本刀で奇麗な刃文が付く

 といった項目を挙げている。


叩かれた玉鋼は、再び火床の中に入れられる。

 いずれにしても、鈴木が言うように、鍛錬することによって、十分に力を発揮する玉鋼は、適切に力を引き出せる技術者を必要とする、扱いにくい素材ともいえる。たたら製鉄の村下や、かつて心鉄などに使用する「包丁鉄」を作った大鍛冶たちに加え、小鍛冶とも称される刃物鍛冶、刀匠たちの鍛錬の技術次第で、出来上がりが良くも悪くもなってしまう。その傑作と失敗作との振幅の大きさが、平均して良い品物となる洋鋼との最大の違いといえるのかもしれない。


ふいごからの風の強弱に松炭は敏感に反応する。

 「鉄は面白い、そして不思議なもんです。日本刀を作るのは手技なのに、まだ現代の科学や工業が超えられない面がある。そういった意味では、唯一の素材と言ってもいいかもしれない」

 刀匠の河内は、鉄の神秘性をそう表現する。ある時期、彼の仕事場に冶金学者が入り浸り研究をしていたことがあった。その一環として河内が焼入れした鋼の硬度を測定することになったが、どうしたことか、その鋼は理論値を超えた硬さを示したのだという。「私らにすれば普通のことをしているだけですけどね、その学者さんはえらい驚いておられましたよ」と河内は笑う。



鎚が振り下ろされた瞬間、大量の火花が飛び散る。

 そもそも現代の金属学では、平たくして折り返した玉鋼が、叩くことで「くっついてしまう」ことさえうまく説明できないのだという。今もって理論は不明。それでも日本の鍛冶たちは、はるか以前から砂鉄と木炭から作られた玉鋼を、折り返し鍛錬し、硬く焼きを入れて鉄や鋼の秘めた実力を十全に引き出してきた。しかも、現代科学では説明すらできない水準まで。

 その技術を正統に受け継いできたのが、玉鋼を使いこなし、卸し鉄をなし得て、そして何よりも鋼を的確に選別できる目を持っている現代の刀匠たちなのである。(文中敬称略)