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都市の緑化を阻む大阪人の“不経済観”vsランドスケープデザイナー、吉村元男さん

産経新聞2014年5月6日(火)
 関西に住む人なら一度は行ったことがあるだろう、あの万博記念公園大阪府吹田市)の壮大な森を創った造園家である。高度経済成長時代の真っただ中、当時の万博記念協会が会場跡地100ヘクタールを30年で自然の森に返すという英断を下したのは、まさに奇跡だった。吉村氏はそう述懐する。

 けれども万博公園の奇跡はそれに留まらない。何より、その大事業が弱冠三十余歳の新進造園家に任されたこと。当時の公園の常識ではタブーだった柵のない水辺や、治安の面で問題になりかねない密生林の配置などの意欲的な設計が、幸運にも所管が大蔵省(当時)だったことで、ほぼすべて認められたこと。そして255種、60万本の樹木が植えられた公園は驚異的なスピードで生物多様性を回復させ、いまやほぼ自立した森になっているのだ。

 公害と自然破壊が当たり前だった時代、緑や水を扱う造園家はなにかと時代に抗うことを余儀なくされ、自ずと文明論的な視野に行き着くこともあったのではないかと思うが、氏の場合もそのようだ。都市と自然は対立するものなのか、共存しうるものなのか。一方で環境を破壊し、他方で自然再生を叫ぶ現代社会の矛盾を克服する視座はどこにあるのか、などなど。

 あるときは新梅田シティ大阪市北区)の庭園や水辺を設計し、あるときは生駒山系の森林保全に奔走しながら、氏の頭には私たちの都市生活に《野生》を導入する発想が駆けめぐる。曰く、自然生態系と都市のバランスを考えるのではなく、私たち都市生活者の視点から自然の再構築を考えること−言うなれば、ときどきの人間のニーズや価値観に合わせて、川をコンクリート護岸にするか、自然護岸にするかを決めるというのだ。都市か自然かの単純な二者択一ではない、この相対的な発想こそ造園家吉村の真骨頂だと思う。

 都市への《野生》の導入は、人間の側がこのように主体的に自然をシステム化、装置化することを意味するのだが、そうして装置化された自然を氏は「中自然」と呼ぶ。そこでは樹木を刈り込んだりしない。都市にあっても可能な限り自然に成長させることで、都市に《野生》の尺度と時間が生まれるというわけだ。

 もっとも、都市デザイナーでもある氏の発想は《野生》からさらに都市の神話性へと進化する。都市には運河や噴水や親水公園など多くの水の風景があるが、なかでも氏があえて「ありえないところにある水」と呼ぶ水がキーワードになる。すなわち必要性や合理性と切り離された水−たとえばインド・タージマハル廟の前庭のように象徴性や永続性を表す水の風景を通して、氏は文明の核としての都市を構想するのである。

 とはいえ現実はどうだ。日本の都市はいまなお自然を無頓着に破壊し続け、核となる象徴性を自ら葬り去りながらひたすら膨張し続けている。ちなみに大阪は市内に緑が少ないことで有名だが、なぜこんなに緑化の意識が低いのかと問うてみると、氏からは明快な答えが返ってきた。曰く、たとえば1本の樹木を都市に植えたとき、その木自体の価格はせいぜい数万円だが、それが成長して枝を張った際に占有する土地の値段は数百万円、数千万円にもなるので、地価の高い都市に木を植えるのは実に高くつく話なのだ、と。

 なるほど、都市に森をつくるのが経済原理との闘いなら、大阪人は樹木に土地を占領させるのを頭から不経済とみなしているのかもしれない。現に、JR大阪駅周辺に残された梅田北ヤード18ヘクタールの再開発計画では、すでに商業施設もオフィスも完全に飽和状態のところへ、さらに高層ビルを建てるらしいが、人口減少時代にこれほど経済的に合わない話もない。

 それならむしろ、梅田北ヤードをニューヨークのセントラルパークのようにすればはるかに多くの人が集まり、お金が動くのではないか。都市の森こそ都市の価値を高めるのではないか。氏はいま、有志とともに北ヤードを650億円で買い取る運動を起こそうとしているが、この行動力の源は文明への夢だろうか、危機感だろうか。(寄稿 高村薫

 【よしむら・もとお】 ランドスケープデザイナー。環境事業計画研究所会長。昭和12年、京都市生まれ。京都大学農学部林学科(造園学)卒業。昭和54年に万博記念公園の設計で日本造園学会賞を、平成5年に新梅田シティの設計で大阪府都市景観最優秀賞などを受賞。著書に『ランドスケープデザイン』(鹿島出版会)、『森が都市を変える』(学芸出版社)など。

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>たとえば1本の樹木を都市に植えたとき、その木自体の価格はせいぜい数万円だが、それが成長して枝を張った際に占有する土地の値段は数百万円、数千万円にもなるので、地価の高い都市に木を植えるのは実に高くつく話なのだ、と。

これだ。そう考えれば経済的には仕方ない、のか…。

しかし、

>梅田北ヤードをニューヨークのセントラルパークのようにすればはるかに多くの人が集まり、お金が動くのではないか。都市の森こそ都市の価値を高めるのではないか。

は大いにあり得ると思う。
なんばパークスだってそうだったろう。

また景気が下火になるとこういった緑化、環境絡みの記事はどうしても少なくなってくる。
一気に成果を上げられない分野だが、必要でしょう!