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世界が注目する日本のウイスキー−1世紀の研さんを経て花開く

THE WALL STREET JOURNAL 2013年4月29日

 日本人ほどバーという繊細な技術をマスターした国民はおそらく他にいない。大手飲料メーカー、サントリーの山崎蒸留所からほど近い京都には、洗練さを見事に極めたバーがある。ここでふと物思いにふけるときには、地元のウイスキーが合うようだ。西欧では、日本のバーテンダーの技術が取り入れられつつある。その独自性を支えるテクニックや器具に驚いたバーテンダーがまねているのだ。今では西洋の多くのバーテンが日本でしか作られていない優雅な柄の長いスプーンを使って、飲み物を混ぜる。日本式に氷を丸く削るバーテンもいる。こうした細やかな気配りは控えめに客をもてなす12席しかないこの小さなバーにこの上なくふさわしい。

 日本の上質なバーの最大の特徴はウイスキーにある(日本で「ウイスキー」を英語で書くときは、スコットランドと同様に、whiskeyではなくwhiskyのつづりが好まれる)。ウイスキーは日本のバーの形成に大きな役割を果たした。バーに行くと、さまざまな日本酒の瓶のほかに、図書館にあるような棚が目に入る。そこに並んでいるのは羊皮紙でできた本の背表紙ではなく、白州ラフロイグボウモア、山崎といった濃い金色のウイスキーボトルだ。黙りこくった客がグレンケアン・クリスタル社製のグラス(一流のブレンダーが香りをかぐために使用する、わずかに先が細くなったグラス)からニッカのシングルモルトをゆっくりと楽しむ。静かで控えめな喜びが凝縮されているようだ。このようにウイスキーを楽しむことができるのは、日本のウイスキー自体の質が驚くほど向上したから、ともいえる。日本のウイスキーが本家のスコットランド以上に国際的に評価されることも今では珍しくない。


Courtesy of Suntory
白州蒸溜所のポットスティル

 例えば、2012年ポットスティルのワールド・ウイスキー・アワードでは、サントリーの山崎25年が世界最高のシングルモルトウイスキーに選ばれ、ニッカはブレンデッドモルト部門で優勝した。サントリーは現在、米国向けだけで年間1万ケースを優に超えるウイスキーを輸出しており、フランスや英国への輸出も好調だ。バランス、口当たりのよさ、繊細さに優れたこれらのウイスキーの出現によって、ウイスキーは変わりつつある。なぜ日本のウイスキーが世界で人気を博しているのだろう。サントリーの山崎蒸留所で工場長を務めた宮本博義氏に尋ねると、「質」だという簡潔な答えが返ってきた。毎年質が上がるようにウイスキーを作っているのだと宮本氏は言う。

 京都のバーは懐石料理を出す小さな木造建築の料亭に似たところがある。静かな住宅街にある閑臥庵は17世紀初めに建造された小さな寺だ。かつて天皇家に引き立てられたこの寺の中にバーがある。盆栽と石彫りの動物を配した優雅な庭は後水尾天皇が作らせた。庭には今でも、後水尾天皇の和歌を刻んだ石が置かれている。ある晩、この庭の中央にあるバーでシングルモルトウイスキーの白州を味わった。東京の西の山間部にある、世界で最も標高が高い蒸留所の1つで白州は生産されている。この地で、白州はここにしかないと言われる水で作られているのだ。

 バーテンダー白州や山崎に使われている水の特徴について一家言を持っていた(日本人は水にこだわる。水に神秘的な性質があると考えている)。バーテンダーいわく、山崎に使われている水は何世紀もの間、茶道に使われてきた。水質が素晴らしいが、科学的に解き明かすことはできないという。茶道を完成させた16世紀の茶の大家である千利休はお茶を点てるのに山崎の水を選んだ。それでも、日本のモルトウイスキーの独特の質は水だけで作り出すことはできない。

 日本人はシングルモルトで成し遂げた偉業を誇りに思ってはいるが、日本人が飲むのはほとんどがブレンドウイスキーだ。サンフランシスコ出身の元バーテンダーで、サントリーのブランドアンバサダーを務めるネイア・ホワイト氏によると、日本の消費者はバランスの悪い味が許せないという。「ウイスキーのほとんどがハイボールのように水割りで消費されるため、ブレンダーの仕事は非常に重要だ」とホワイト氏は話す。言い換えれば、ウイスキーは水に負けてはいけない、ということだ。もう一つ特筆すべき点は、ウイスキーを熟成させるためのたるに日本原産のミズナラを使われていることだ。ウイスキーをミズナラのたるで熟成させると、蒸発で多くの水分が失われるため、濃厚なウイスキーに仕上がる。ホワイト氏によると、ミズナラのたるから移る香りは他では経験できないという。

 日本のウイスキー産業は竹鶴政孝氏と鳥井信治郎氏という2人の男から始まった。竹鶴氏はニッカウイスキーの創業者で、ニッカの創業前に竹鶴氏を雇っていたのが鳥井氏だった。薬問屋で働いていた鳥井氏はサントリーを興し、1923年に日本初のウイスキー蒸留所を山崎の地に建設した。この2人の男が作ったウイスキーには興味深い違いがあった。1981年に単身スコットランドに渡った竹鶴氏は現地の女性と結婚し、ともに帰国した。竹鶴と妻は北海道余市に建てた蒸留所で事業を始めた。竹鶴氏はスコットランド滞在中にグラスゴー大学に入学し、日本人として初めてウイスキーを科学的に研究した。その後、鳥井氏の下でしばらく働いたあと、1934年にニッカを創業した。


© Jeremy Sutton-Hibbert/Alamy
山崎蒸留所のチーフブレンダー

 竹鶴氏にとって、土地がやせていて人里から遠く離れた余市スコットランドのハイランド地方の条件に近い場所だった。竹鶴氏はスコッチと同じような渋みがあり、引き締まっていて雑味のないウイスキーを作ることを目指していた。今でも、ニッカのシングルモルト余市と宮城峡(本州北部で作られている)は日本のウイスキーの中でも最も繊細かつ刺激のあるウイスキーとされている。蒸留方法は極めて伝統的だ。例えば、余市蒸留所では、微粉状の天然石炭を使って蒸留器を加熱する。この手法はスコットランドでもほぼすたれている。ピートが香る豊かな味わいの理由の一つはこの「直火焚き」だ。サントリーの最高級ウイスキーもそれほど大きな違いはない。鳥井氏も高く評価していたスコッチを再現したいと考えていたからだ。しかし、サントリーのウイスキーのほうが甘みがあり、口当たりがよいという特徴がある。

 京都にはコルドン・ノアールという究極のウイスキーバーがある。先斗町界隈のビルの3階にある店で、ドアに看板はかかっていない。煙でかすむ店内は暗いが、落ち着いた優雅さがある。 壁を見れば現代の日本人の味覚がわかる。スコッチやバーボン、アイリッシュ・ウイスキーが大量に並んでいる。この中には珍しいウイスキーもある。カリラのシングルカスクのダグラス・オブ・ドラムランリグ25年がアードベッグブルイックラディ・ポート・シャーロットと並ぶ。しかし、それらよりもっと珍しい日本のウイスキーを求めて、人々はこの店にやってくる。


© Hiroji Kubota/Magnum Photos
山崎蒸留所で作られている4のウイスキー

 数日間、夜になると、私は階段を上ってこの看板がかかっていない3階の店に通った。余市や宮城峡といった昔からあるウイスキーやサントリーの「響」など数種類のブレンドウイスキーだけでなく、知名度は低く、種類も少ないが濃厚なウイスキーを楽しむためだ。エバーモアは変わった四角いびんに入っている。マルス12年は信州の蒸留所がシェリー酒のたるを使って熟成させた。香りはそれほど強くないが、美しい濃い色に仕上がっている。2003年エバーモアは私のお気に入りのウイスキーの1つになった。甘い香りと木の洗練された芳香が感じられる。それまで2003年エバーモアを他で見かけたことはなかった。

 こうしてさまざまなウイスキーを楽しんではいるが、閑臥庵で初めて出会った白州を味わうことも多い。白州には言葉で言い表せない日本的な何かがある。それは緻密さかもしれないし、味の明確さかもしれない。極端な純粋さかもしれない。ホワイト氏は言う。「なぜこれほどの努力をするのか。なぜ木の影響がこれほど大きいのか。なぜこれほど蒸留酒の飲み方の種類が多いのか。それはこれが日本人のためのウイスキーだからだ。日本人のライフスタイルや感受性にマッチしなければならない」。

 言い換えれば、日本人は世界で間違いなく最高水準にある日本料理と同じくらい素晴らしいウイスキーを求めているということだ。蒸留技術を磨き続けて約1世紀が経った今、日本人はやっとそれを手に入れようとしている。


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確かに、ウィスキーには日本酒とは異なる、すごい魅力がある。
たまに「ハマるなぁ、これは」と思う。

ヨーロッパで生まれたお酒なのに、日本製のものの価値を世界が認めてくれる。
すごい嬉しいことだ。
水、木、職人のこだわり。

コルドン・ノアール
http://ameblo.jp/bar-cordon-noir/

5/3の記事はハイランドパーク1979年ものが書いてある。
美味しそう…。

京都に行った時には寄ってみたいなぁ。

白州も飲んでみよう。