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心が強い人は「不安は妄想」だと知っている-実体のないものに反応するのはムダ!

「失敗したらどうしよう」「先が見えなくて不安」「私なんてまだまだ……」

こうした思いが邪魔をして、実力を発揮できなかったり、せっかくのチャンスを潰してしまったり。「もっと自分に自信があれば」と考えることもよくあります。しかしブッダが教えるのは、意外な解決策です。

本当は、自信なんて「いらない」。

不安は、“練習”次第で解消できる。

心の状態を「理解」してから「合理的に考える」ことで、「自信家」以上の成果を出せる――そんな驚きの智恵を、ブッダは教えてくれます。

不安の正体、わかっていますか?

そもそも「不安」とは何でしょうか。先のことをネガティブに――失敗するとか、笑われるとか――考えることでしょう。そういう「アタマの中の想像事」は、すべて「妄想である」(!)と、ブッダは理解します。まずこれを理解するところから始めてみます。

ブッダの教えの特色は、人の精神状態(アタマの中身)を、「心の反応」によってわかりやすく「分類」することです。つまり、悩みを抱えたアタマの中を、

(1)貪欲(過剰な欲求。現状以上に求めてしまう心)
(2)怒り(不快感・不満)
(3)妄想(アタマの中で考えること。過去を思い出す・将来を想像することなど)

 

という“3つの反応”によって区別するのです。

この分類に従うと、「不安」とはマイナスの事態を想像している状態だから……アタマで考えているだけなので、「妄想」です。

だから、あれこれ考えているうちに不安を感じてきたり、うまくいかない気がしてきたときは、まず「妄想が湧いている」と客観的に理解します。

不安に打ちかとうとか、ヤル気をムリに駆り立てる必要はありません。アタマの状態を冷静に「理解する」のです。

不安がある(失敗するかも。この先どうなるのだろう? 評価を下げているのでは?)
⇒わたしは妄想している。これは妄想状態である(とはっきり理解する)

 

大切なのは、「妄想は妄想にすぎない」と客観的に理解して、それ以上に「反応しない」(真に受けない)ことです。

「反応(妄想)は、次の反応(妄想)を呼ぶ」というのが、心の性質。だから考えれば考えるほど、不安(妄想)はますます増えていきます。

「どうせダメに決まってる」「そういえばあのときも失敗したし」「だから私って……(自己嫌悪)」という自分への“ダメ出し”は、膨らんでしまった妄想の一例です。身に覚えがないでしょうか。

妄想から「抜ける」練習をしよう

心は反応するもの、妄想は増えるもの。もしこうした「妄想の連鎖」をストップしようと思えば、前回紹介した「感覚を意識する」瞑想タイムがバツグンの効果を発揮します。呼吸しているときの“お腹の膨らみ・縮み”、歩いているときの“足の裏”などの「感覚を意識する」こと。

そうして「妄想から抜ける」練習をすることです。もうひとつ、練習法を紹介しましょう。

目を閉じて「今朝の食事」を思い出してください。食べたモノ、どんな味がしたか……具体的にイメージします。ハイ、それが「妄想」状態です。

では目をパッチリ開いて、明るい景色を見つめてください。その状態は「見えている」という事実(視覚)です。「ああ、さっき思い浮かべていた食事は“妄想”だったのだ」と、はっきり自覚してください。

目を閉じて見えるものが「妄想」。目を開いて見ているものが「現実」です。こう考えると当たり前なのですが、妄想と現実とは、はっきりと違います。

この2つを区別できるようになることが、「ムダな妄想をしない」決定的な方法になるのです。

「不安」は、妄想の典型です。だから「妄想しない」練習を積んでいけば、不安も徐々に湧かなくなっていきます。これほど合理的で効果的なメンタルトレーニングは、ブッダの教えならでは。生かさない手はありません。

「自信を持ちたい」と考えるのもムダ

「不安に打ちかつために、もっと自信を持ちたい」と、人はよく考えます。しかしブッダは、「自信を持ちたい」という発想も“大きな勘違い”だと教えます。実は……「自信」もまた「妄想」にすぎないのです。

というのも自信とは、自分はできる・能力がある・きっとうまくいくという判断・予測のことです。しかし、「できる・できない」という判断も、「きっとうまくいく」という予測も、アタマの中にしかありませんね。となると、「心の状態をまずは理解する」ブッダの教えに照らせば、これらはすべて「妄想」ということになるのです。

ということは、「不安があるから自信を持ちたい」という人は、次のような「不合理な」思考をしていることになります。

不安という「妄想」がある。
⇒その妄想を打ち消すために、自信という「妄想」をしている。

 

つまり、妄想の上に妄想を重ねている状態です。もし「自信」という妄想が、「不安」という妄想より強ければ、「自分はできる!」「きっと成功する!」と思えるかもしれません。しかし大抵は、「不安」と「自信」とのせめぎ合いです。勝つこともあれば、負けることもある。私たちの日頃の心境を振り返ってみると、たしかにそんな感じですよね。

ブッダが教える解決法は、もっとシンプルでラジカル(根本的)です。

「妄想そのものを、心の状態を客観的に理解することでリセットしてしまいなさい」

というのです。妄想が止まれば「不安」は消えます。となると、ムリヤリな「自信」もいらなくなってしまうのです。

人は、できるかどうか、成果が出るか否か、あれこれと将来のことを予測・判断したがります。しかし結果が見えるのは「先の話」。それを今の時点でわざわざ考えようとすることは、「ムダな反応」ではないでしょうか。

本当の自信はどうやって育つか?

また、仮に一度は成功したとしても、状況はつねに変わります。次もうまくできるとは限りません。「自信がついた」といっても、その自信は次の状況には通用しないものなのです。「え? こんなはずじゃないのに(自信があったのに……)」と戸惑うことは、ビジネスでもスポーツの世界でもよくある話です。

「自信を持ちたい」という発想自体が、人が期待するほど合理的ではないのです。

では、仏教には「自信」なるものがないかというと、そうではありません。ただもっと合理的に、確実に「自信に導く考え方」をします。

ブッダが教える「正しい自信のつけかた」をまとめてみましょう。

ひとつ目は、「妄想しない練習」をすること。これは先ほどお伝えした「妄想という心の状態を客観的に理解する」訓練です。そのために瞑想タイム――心の状態を見る時間――を生活習慣にしてしまうこと。これは続ければ続けるほど、効果を発揮します。

不安という「妄想」を取り除いていくと、自然に残るものがあります。それが「行動」です。「やってみる」ということです。逆にこれを欠いたところでは何も始まりません。

つまり自信の“本質”とは「やってみる」ことなのです。

さて、ブッダが教える、正しい行動の順序は次のとおりです。

 (1)やってみる(体験を積む)
⇒(2)ある程度の成果を出せるようになる(周囲が認めてくれるようになる)
⇒(3)「こう動けば、ある程度の成果が出せる」という“見通し”がつくようになる

 

どんな世界でも、(1)の積み重ね。(2)の「成果」が出るまで時間が必要になります。その途中に出てくる「本当にうまく行くのだろうか」という不安が、まさに妄想。ほんとはその妄想に反応しないで、ただ「やってみる」の連続だけでいいのです。

(3)の“見通し”こそが「自信」です。こうしてみると、本当の自信は、「できる」という判断・妄想ではなく、「やってみる」その先に来るものだとわかりますね。

「まずやってみる」というシンプルな生き方

「やってみるというのが難しいのです」「つい足踏みしてしまいます」という人がいます。気持ちはよくわかりますが、そんな人こそ「これは妄想なんだ」と理解するように努めてください。

「やってみる」という行動を妨げているのは、「失敗するかも」「迷惑をかけるかも」「私なんてまだまだ」といった判断・妄想にほかなりません。それこそが「心の反応のクセ」。だからこそ「妄想しない練習」をこれから始めるのです。

妄想しない。まずやってみる。

これが「自信をつける」正しい方法・王道です。まさに禅の世界にいう「とらわれのない心」です。これまで「仏教」「禅」という特殊な世界で語られてきたことですが、「ムダな反応をせず、心をクリアに保つことで、心の能力(パフォーマンス)を上げる」というのは、現代人に欠かせないメンタルトレーニング(心の練習)でもあるのです。

妄想にとらわれない心なら、物事がシンプルに進みます。

何をすればいいかわからなければ、「何をすればいいですか?」、やり方がわからなければ、「どうすればいいですか?」と聞くだけです。

教えてくれれば「ありがとうございます」。迷惑をかけたら、「すみません」と素直に謝るだけです。

そして「頑張ります」という最初の思いに立ちます。

あとは、妄想しない心で、どれだけ作業に集中できるかにチャレンジします。

初心に立ち返って「やってみる」。その積み重ねの先に「これならできる」という“見通し”がつけられるようになる。そのときの思いを「自信」と表現するのです。

「不安」は妄想です。ムダな反応にとらわれずに、シンプルに進んでいきたいものですね。