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人の失敗を叱責してはいけない理由 「不適切な行為」よりも「適切な行為」に着目する

岸見 一郎

>>日経ビジネスバックナンバー2014年6月17日(火)アドラーに学ぶ 人と人の間のこと

 部下が失敗を繰り返すというような場合、私たちは往々にして、その部下の問題点を探ろうとします。叱責されると、すぐに会社を辞めるといいだすので、上司は自分が若かった時はそんなことはなかったと思ってみたり、失敗するのは部下が軽率だったり、集中力が欠けているからだなどといったりします。

 このような場合、部下の家庭環境に問題の原因を求めることはないでしょうが、例えば、学校では、子どもが何か問題を起こした時、家庭環境にその原因を帰することはよくあります。

 部下の失敗は仕事を任せた上司にもその責任があるはずですが、部下の性格などに原因を求めるのは、上司が自分の責任から逃れたいからであり、いわば安全圏に自分を置こうとしているのです。


 しかし、これはちょうど学校の先生が、自分の教え方を棚に上げて、勉強についてこられないようだから塾にやらせてくださいとか、自宅で子どもの勉強をしっかり見てやってくださいと親に勧めるのと同じです。このような考えでは、上司には部下の問題に関してできることは何もないことになります。

■性格は誰かとの関係の中で自らが「決める」もの

 では、どう考えればいいでしょうか。部下が失敗をすることに自分は何か関係があるのではないか、自分との関係の中で部下が失敗を繰り返すという“選択”を敢えてしているのかもしれないと考えてみるのです。

 人の言動は、誰もいない、いわば真空の中で行われるのではありません。必ずそれが向けられる「相手役」がいて、その相手役から何らかの応答を引き出そうとしています。

 性格も一人で生きているのであれば、問題になりません。アドラー「人は、性格を誰かの前で、誰かとの関係の中で決める」と考えます。

 上司が部下の失敗を見てイライラするとすれば、部下は、失敗することによって、上司の注目を得ようとしているのではないか、と考えることができます。

 あるいは、失敗を続けることで、自分はこの仕事や職場には向いていないのではないかと思い、上司にもそう思われることで、仕事を辞める決心を固めようとしているのかもしれません。

■注目を浴びるために失敗をしている?!

 それではどうすればいいでしょう。 結論からいえば、くどくとと説教したり、叱ったりというようなことはしない方がいいのです。失敗したのですから、やり直したり、場合によっては謝罪したりという方法で、責任を取ってもらうことは必要です。ただ、次に同じ失敗をすることがないように、改善すべき点があればそれを教えればいいのであり、叱っても、失敗から何も学ばない部下は、また同じ失敗を繰り返すだけです。

 叱れば奮起すると思う人はあるでしょうが、そのようなことはまずありえません。叱ると対人関係の心理的な距離は遠くなってしまいます。改善すべき点を教えようと思っても、距離が遠ければ、部下は上司のいうことを素直に受け止めることができなくなります。

 上司から叱られるのが怖いので、失敗をしないよう慎重になるかもしれませんが、自発的に創意工夫をしようとしないで、自分に与えられた必要最低限の仕事しかしようとはしなくなる可能性は大きいですし、指示を待ち、自分からは動かない「イエスマン」を、上司自らが作り上げるということにもなりかねません。

 感情的に叱らなかったとしても、個々の失敗について指摘するのではなく、「君には失望した」というような人格を否定するようないい方をすると、働く意欲をなくすことになるだけです。

 「注目されるために失敗するなどありえない」そうお思いになる方もいるでしょう。しかし、子どもを考えてみてください。母親から注目されたいがために、危ないことをして転んでみるといったことは往々にしてあります。同じことを大人になってからも自分では気づかずにしているのです。

 もしも部下が本人も意識しないままに上司の注目を得るために失敗をしているのではあれば、叱られるという形で注目を得ようとしているわけですから、叱ることは有効ではありません。さりとて、失敗した時に何もしなければ、注目されるためにいよいよ失敗は続いてしまいます。では、どうするべきなのでしょうか。

■怒らずして、何をすべきか

 次のようにするのがいいでしょう。同じ行為の適切な面に注目することで、同時にその同じ行為の不適切な面に注目しなくてすむような注目をするのです。

 一読してもすぐには意味がわかりにくいかもしれませんが、例えば、子どもが朝遅く起きてきたという場合、起きてきた時間が遅いことには注目せず、とにもかくにも起きてきたことに注目するということです。ベッドの中で冷たくなっていたのではなく、起きてきたことはありがたいことなので、起きてきたことにだけ注目すれば、起きてきた時間には注目しなくてすみます。

 今の場合は、部下の貢献に注目することができます。失敗には注目しないで、仕事をしたことに注目すればいいのです。具体的には、「ありがとう」「助かった」という言葉をかけることができます。上司は部下が仕事をすることを当たり前だと思い、このようなことを今までことさらに意識したことがなければ、そのような言葉がけは思いもつかないでしょう。

 なぜ、部下の貢献に注目するかといえば、そうすることで、自分に価値があると思ってほしいからです。自分が仕事をすることで共同体(会社)に役立っていると感じられれば、自分に価値があると思えます。自分に価値があると思えれば、仕事に取り組む勇気を持てるのです。

 これだけのことをした上で、なお部下が失敗するということはありますが、部下は自信を持って問題に対処することができるでしょう。少なくとも、部下が失敗することで注目を得ようとか、仕事を辞められる状況に自分を追い込もうとは思わないでしょう。「失敗しなくても、上司は自分を見てくれている」と思えれば、注目されるために失敗するということはなくなるはずです。

 にわかに信じがたいかもしれませんが 、他人に対して腹立たしく思ったり、相手の行為が許せない時、このことを少しだけ頭に入れておくのとそうでないのとでは、その後の人間関係は違ったものになってくるはずです。

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ん〜…、言いたいことは理解するけど、叱らない、同じ行為の適切な面に注目する、というのは大人社会ではどうかと…。
子供(小学校くらい?)相手にはある程度わかるけど(と言いつつ、我が子相手には反省しきりなところも。つい「怒って」しまう…)。

一昔前はそんなこと、なんて言いたくないけど、今ってこう考えないといけないほど“何か”のレベルが低くなったの?、と感じてしまった。
ただ、言い方、接し方は考えた方がいい。要は指示する、叱る側は人間性を磨いておかないといけない、と思う。
でもその人間性も一つはそのまた上司・先輩方を見て勉強するもんだし、そういう連綿とした繋がりが人間社会を形作っていくもの、と思う。

っていうのは理想論ですか。