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50歳になっても他業種へ転職できる人の条件

ダイヤモンド・オンライン2014年1月20日(月)
 前回は、子どもの頃に身につけていながら、大人になるにつれ封印してしまった能力「ノンネグレクテッド・タレント」がいかに50代から人生をリセットさせるのに重要かについて解説をした。今回はもう1つ重要な「能力の転用」という点について少し解説をしたいと思う。

■他業種も変革させるトヨタ生産方式 他業種の血を入れて革新を続けるニトリ

 能力の転用というのは、言ってみれば会社に入ってから身につけた「大人Can」の応用である。たとえば、OJTソリューションズという会社がある。トヨタ自動車リクルートグループがコラボレートした会社だ。簡単に言うと、トヨタ生産方式がさまざまな業種業態でも応用できるのではないかという狙いで設立された、生産性向上を指導するコンサルティング会社だ。トヨタ自動車の工場出身者で、40年以上の現場経験を持ち、マネジメント経験も持つトレーナーを派遣する。そう、この会社自体がミドル〜シニアの活用事例なのだが、今回はその点が眼目ではない。

 部品点数3万点から4万点。重量1.5トンほど。価格は250万円くらいの商品で、ラインインからアウトまでの時間が短い。そうした特性を持つ商品、つまり自動車については定評のあるトヨタ生産方式であるが、全く違う特性を持った商品の場合でも生きるのか。流体制御に関してはどうだろうか。つまりは化学工場でも使えるだろうか。はたまたサービス業には応用できるのかと、半年にわたって私がまだ在籍していた当時の野村総研が分析を任されて、多くの業種業態でトヨタ生産方式は使えるとう結論を得て、本格稼働した。

 たとえばある農機具メーカーでは、創業時からのローラーイン生産からセル生産方式への転換によってリードタイムを21%も短縮することができた。またある印刷会社では、作業者の勘や経験で行われていた作業を標準化し、納期を守りつつ、顧客ニーズに合わせた多品種少量生産が可能となる仕組みを構築した。

 こうした事例からもわかるように、品質管理や生産管理などの技術やノウハウは、さまざまな業種業態に応用できるものなのだ。

 実は同社は、とある郵便局の業務改善にも取り組んだ。ベテランが観察すると、どんな業種であれ、わずかな時間の観察で、業務の無駄を省くための改善点を見つけることができる。実際に、その際には1時間程度の観察で、130点以上の改善点を指摘したそうだ。ただ郵便局の場合はオチがあって、「なぜ生産性を向上する必要があるのですか?」という質問を受けたらしい。「早く仕事が終わってしまっても困る」というわけだ。

 いずれにしても、そうした業務改善などは、1人の力でも可能な部分がある。つまりは転職することで、自分の能力を転用する余地はいろいろあるという意味だ。

 たとえば有名な話であるが、ニトリホールディングスの杉山清専務取締役はホンダで生産事業部長を務めた人だが、2007年にニトリに移り、家具の品質向上に取り組んだ。自社工場はもちろん、物流面も劇的に変えたという。350社以上の取引先に乗り込んで、生産指導も行ったそうだ。

ニトリは異業種からの血を入れることに積極的で、ホームページを見ると、建設業界から店舗レイアウト室担当、ガラスメーカーから品質業務改革室などへ、多くの転職者が来て活躍している。

■なぜメイテックの技術者はいくつになってもどこでも活躍できるのか

 このシリーズでは、これまでにも何度かメイテックという会社を話題に出した。特定派遣業として、技術者を正社員として雇用し、さまざまな開発現場に派遣している会社だ。だから、どの技術者も定年まで多くの現場を渡り歩いている。

 通常、大企業のエンジニアの人に話を聞くと、たとえば自分は半導体製造装置の設計者だから、他のことはできないと言う人が多い。そうした表層を見るのではなく、そうした仕事で培われてきた能力の根源は何かを考える。多分、いくつかの汎用性のある能力に分解できるはずだ。そこまで分解して、今度はそれを別のシチュエーションに当てはめることができるのではないかと考える。そうすることで、さまざまな転用先が見えてくる。

 そうしなければ能力を発揮する機会に恵まれ続けることはない。産業には浮沈がある。だから景気や流行廃れは自社だけを襲うのではなく、少なくとも同じ産業を襲う。だから、同じ業種への転職は難しいということも少なくないのだ。そんな場合は成長産業に鞍替えできないと厳しい。そんな時こそ、自分の持つ能力を汎用的なものととらえ、別の産業に移るべきなのだ。

 たとえばメイテックには、50歳をすぎてから、門外漢で、技術的な基礎も知らなかった太陽光発電のソーラーインバーターの開発に挑戦したエンジニアもいる。当時は顧客企業もまだこの分野は未経験だったという。

 そこでそのエンジニアは、既存の機器を購入し、分解して回路図に落とし、他社の技術者の思考を遡りつつ理解するところから始めたそうだ。

 さらに、メイテックには新たな技術的な知識習得に加えて、派遣先の状況から、50歳を過ぎて本格的に英語を学び、さらに定年後も中国語を学んで、仕事に活かしているようなエンジニアもいる。

 一般的には、自分の能力の汎用性に着目してフィールドを広げていくということの必要性はなかなか理解してもらえない。ところがメイテックのエンジニアは、さまざまな業種業態で開発業務に携わるのが常態化している。それどころか、先の英語の例ではないが、生産現場が海外に出ることによって、どうしても海外の企業との付き合いも増えていく。だから、50歳をすぎて、いきなりグローバルな環境への適応を迫られることもある。適応しなければ働く機会が減ってしまうのだ。

 彼らは、そうした、普通のエンジニアから見たら、極限状態に常に置かれている。だから当然、職場異動に拒否反応を示す人はほとんどいない。彼らが恐れるのは、次に行く場所がなくなることだからだ。つまり、自分たちが動き続けることによって、自分の職を、働く場所を、自らの手で作り出し続けているのだ。それこそ、この連載の5回目で言及した“動的均衡”を担保する方法論でもあるわけだ。

■自分の専門分野のレベルが低い業界を選べば市場価値は高まる

 では、なぜ彼らにできて、他の人にはできないのだろうか。

 技術の世界ですら、ある程度汎用化ができて、働く場所を変えることができるとするならば、いわゆる事務系の技術である、経理や財務、法務、人事、営業、マーケティングや企画などができないはずはない。

 考えてみれば我々経営コンサルタントの持つ技術も非常に汎用的なものだ。お金をいただけるような経営計画を立てるには、その業界やその会社の実情をかなり知らなければいけないのだが、自分にとっては未知の業種であっても、長くて3ヵ月もあれば、調査を含めて経営計画の骨子を固めることができる。

 勘のいいベテランともなると、会って話をして、15分もすれば、その業界の問題点の所在がわかってくる。解くべき課題の優先順位もわかってくるものだ。

 つまりは、多くの人が自分の専門と言っていることは、単に専門領域の話であって、専門の能力ではない。専門の能力というものは、繰り返すが、ある程度汎用性のあるものなのだ。それを見つけ出すことが何としても必要だ。その気になれば、絶対に見つかるものだと思う。

 大事なのは、立ち上がりのところでどれだけ短期間で勉強できるかということ。そういう意味では、専門領域にこだわっている人は、単に不勉強な人に思える。できないのではなく、単に面倒くさいと思っているにすぎないのではないだろうか。

 専門性をしっかりと汎用化することで、それが足りない分野をみつけることによって、高い市場価値を得ることが可能なのだ。

 つまり、自分の高い専門性を他の産業や業界に応用する。その際に、自らが専門とする分野のレベルが低い業界を選べば、当然、高い競争優位性が得られるという構図だ。

 たとえば、日本はサービス業の生産性が低いといわれるわけであるから、世界に冠たる高い生産性を誇る製造業で培った能力をサービス業に活かせば、大きな競争優位になる。つまり、自分を高く売れる。

 ITの技術やマーケティングの専門性を活用して、農業など第一次産業の現場や介護の現場を改革するということもできるだろう。

 逆に、おもてなしの技術は今、どんな現場でも必要とされる。おもてなしの技術が一番高いところがホテルだとすれば、ホテルでそうした技術を習得した人が、同業のホテルでのサービス従事にこだわるのではなく、「おもてなしの本質は何だろうか」ということをしっかりと整理をして、それをたとえば地方公共団体の窓口業務のサービス向上に活かすなどというやり方もあるだろう。

 少し前の話であるが、スウェーデンのある染物工がリストラされてしまった。染物業界は斜陽産業になってしまったからだ。彼は解雇された後に、キャリアカウンセラーと面談をして、さまざまな方向性を提示される。

 その過程で彼は、これからは太陽光発電に将来性があると気がつく。この場合は、能力の汎用性だけでは克服できない壁があるので、彼は大学に学士編入で入り直して、さらに大学院まで進み、計4年間、学び直しをして太陽光発電の技術者になる。

スウェーデンの場合は、社会保障が優れているので、その大学や大学院の学費は国が出してくれて、その間は失業保険で家族を養うこともできる。

 残念ながら日本にはそうした手厚い社会保障はないが、だからと言って、そうした努力をしないでいいということにはならない。

 技術や能力の汎用化によって、こうした学び直しが必要でないとなれば、それは大変にラッキーな話だ。必要ならば、50歳になってからでも学び直しを含めて、新たな分野に転じることが必要だ。

 これは決して追い詰められて行うことではない。何歳になっても人生を謳歌するために、自らの知的好奇心を満足させるために、行うべきことなのだ。

 その際に、大人になってからのCanだけでなく、前回述べた子どもの頃に身につけた原点Canをベースに組み立ててみることができれば、さらに強い優位性が得られることだろう。

 さて、次回であるが、こうした考え方も踏まえて、自らの愛され方を会社に提案し、結果として会社を変えるムーブメントを引き起こした、2人のミドルの事例を具体的に紹介していきたいと思う。