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中学生の頃に得意だったものがあなたを救う? 50代での人生リセットを可能にする意外な能力

 昨年の10月にスタートしたこの連載だが、昨年中は、企業における雇用保蔵問題(フリーライダー社員問題)を出発点に、現在、そして近い将来のミドル〜シニアのビジネスパーソンに顕在化している問題点を指摘してきた。

 年が改まったのを契機に、新春からは、「では、そうした問題点を認識したうえで、私たちはどうしていけばいいのか」という話を、実例も交えながら展開し、皆さんと一緒に考えていきたいと思う。

●人生をリセットするにはまずは「能力の棚卸し」が必要だ

 新しく人生をリセットするとしたら、一番大切なことは何であろうか。普通は、「まずは強い思いを持つべきだ」といわれる。「Will」である。果たして自分は何をしたいのか、を考えることであるが、これは間違いだ。間違いというか、無理だ。

 そうした思いが持てるくらいであれば、とっくに持ち、かつ、思いがあるなら行動に移しているはずだ。思いが持てないという頭の構造になっているからこそ、今、悩みはより深まっている。今、自分がやるべきこと、やりたいことが明確な人だったら、多分、私のこの連載は読んでいないのではないか。それでも読んでくれているとしたら、それは嬉しい限りだ。

 多くの人は、やらなくてはならいこと、「Must」に頭をとらわれすぎていて、やりたいことを思いつく余裕がない。たとえ思いついたとしても、それを行うには自分には能力が足りないと思うのが普通だろう。そこで重要なことは、自分の才能、能力について、もう一度、棚卸しをして、認識することだ。

 まず、考えなければならないのが、Will、Can、Mustのバランス。Mustが優勢になっていて、Willがわからない、つまり自分は本当は何がしたいのかがわからないというのが普通だが、この場合はまずCanの棚卸しから始めるのが良い。

 能力は、自分で気がついている能力と、気がついていない、あるいは忘れている能力に大別される。

「あなたは何ができますか?」と聞かれて「課長(部長)ができます」と答えたという笑い話のような現実は、実は明日は我が身だ。彼の頭の中で、できることとして意識している能力は、課長職をこなしているという、ここ数年間の自分の働きぶりと、それに必要とされた能力だけになっている。

 人には隠れた能力がもっとたくさんある。しかし、その中のある重要なパートは、昔は顕在化していたにもかかわらず、人生のどこかの段階で自ら封印してしまった可能性がある。昔はできたが、今はできなくなくなっている、錆びついてしまったようなCanもあるだろう。

 では、能力の棚卸しの本題に入る前に、年齢と能力の関係に関する俗説に疑いの目を向けてみよう。

 年を取ると創造性が鈍るとか、保守的になるとよく言うが、一概にそうとは言えない。少なくとも欧米では、シニア層が起業することも多く、しかも成功確率は高いといわれる。

 若者には失うものがなく、挑戦心があるとよくいわれるが、これも疑わしい。少なくとも、本人たちはそうは思えないことが多い。失いたくないものの最たるものが未来だ。若者はこれからの人生が長いことがわかっている。それだけに、今失敗して、暗い将来が到来したらたまらないと不安になる。実は、積極的に行動をしたほうが、むしろ未来は開けることも多いのに、今の延長線上にある未来を捨てられないから、失うものが多いと感じるわけだ。自分のこれまでの乏しい経験と小さな成功が、掛け替えのないものに思えてしまう。だから捨てられない。

■小学校高学年から中学生の頃に好きだったものを思い出してみよう

 さて、「Can」の棚卸しへと話を移そう。

 まず、自分の能力について考える場合、顕在化している能力、つまり、会社に入ってから自らが身につけた能力、その延長線上で今発揮している能力は、いったん脇に置こう。大事なのは、自分が忘れてしまっている能力、封印してしまった能力の再発見だからだ。

 そうした能力は「ノンネグレクテッド・タレント」と呼ばれる。「無視し得ない能力=原点Can」を意味する。

 人にはそもそもその人が好きだったり、得意だったりしたものがあって、意外とそれらは生涯変わらない。仮説ではあるものの、多くの場合、それらの萌芽は、小学校高学年から中学生の頃に見られる。

 ところが、そうした自分の原点にあるCanを人は仕事に活かしているかというと、多くの人はそうはなっていない。

 なぜならば、それらは入学試験や入社試験で評価されるようなものとは限らないので、そうした時期になると親から止められたり、自分で封印してしまったりするからだ。それで普通の勉強に力を入れる。その結果、一人前にはなるかもしれないが、それ以上にはなれなくなってしまう。

 たとえば当時、何よりも絵を描くことが好きだった。男の子だけど、料理が好きだった。時計を分解しては組み立てていた。とにかく人の悩みを聞くのが好きだった……などは、高校や大学受験、あるいは就職に際しては、ほとんど顧みられることはない。それでいつしかそれに時間を費やすことを止めてしまう。その上で、二番目か三番目に好きなこと、皆によくできると言われたこと。実は好きでも何でもないけど、潰しが利きそうなものを身につけて、磨いていくことになる。

 その封印を解くためには、好きで没頭していたことを思い出すほうがいい。必ずしも人よりうまくできたり、褒められたりしたことに限る必要はない。まさに、“好きこそものの上手なれ”だ。人より点数が高かったとか、人より明らかにうまかったということばかりに目を向けるのではなく、好きだったことに目を向ける。それが得意でもあったらなおいい。それは間違いなく、原点Canと言えよう。

■子どもの頃のCan×大人になってからのCan 2つの掛け算で幸せな人生になる

 私のことを少し話させてもらいたい。私は、小さなころからしゃべることが好きだった。テレビのアナウンサーのマネをしてみたり、発生練習のようなことまでしていた。テープレコーダーを買ってもらったのをきっかけにして、友人の1人とディスクジョッキーの真似事を始めた。月曜日に録音したテープを同級生に配り、回し聞きしてもらう。それで土曜日までにリクエスト曲を書いてもらい、回収。土曜の夜にエアチェックして、リクエスト曲を録音し、日曜日にDJ番組を録音して、また月曜日に回す。

 高校に入ると放送部に入り、大学ではテレビ局でバイトを始めた。放送局の雰囲気が大好きだった。就職に際しては、実はそのテレビ局から誘われもした。そのままテレビ局に入っていれば(実際に入れたかどうかはわからないが)、アナウンサーになって、しゃべることを職業にする道もあったかもしれない。

 しかし、当時の私にしゃべりを職業にする気はなかった。しゃべることはただ好きなだけで、それを生業にするというのは、あまり恰好のいいことだとは思えなかった。仕事にすべきことは、学術的に鍛え上げられたものでなければいけないと思った。

 しゃべることのほかに、探究心が強く、小学生の頃から科学実験が大好きだった。粘土細工でできるだけ精巧に人体モデルを作ってみたり、限られた材料でホバークラフトの製作に打ち込んだり、物事の原理原則を考えて、それを再現するのが好きだった。

 その性向が数理解析に向かい、数学が得意な高校生、そして大学生になっていた。そこで、その経験を生かして、野村総合研究所の研究員となった。最初の仕事は統計分析を行ったり、シミュレーションモデルを作ったり、など嬉々として取り組むのだが、いるところにはいるものだ。所詮、一番得意ではないことで勝負しようとしても、その道を極めようと迷いのない人には叶わない。野村総研には実際、数理解析の権化のような人がたくさんいた。しまいには、私のインストラクター役であった人から「野田君って、意外と数学が苦手なんだね」などと、大変ショックなことまでいわれてしまった。

 つまり、自分に顕在的に能力があると確信していたことには、比較優位性があまりなかったのだ。

 ただ、野村総研の先輩たちは皆、分析のプロではあるが、オーラル・プレゼンテーションには長けていなかった。必然的に、そういう役回りは私に回ってきた。大きなシンポジウムなどの舞台上でのリハーサルの雰囲気は、やっぱり好きだった。照明に照らされたときの緊張感はたまらなかった。それでも、そうした場所でしゃべることに、あまり価値は見出していなかった。

 数理解析の次は自分がマネジメントに長けていると思い込み、管理職として大成しようとも思った。そうこうしているうちに、会社を辞めて、大学の教員になるとともに、本格的に地上波でデビューすることになった。最初に言われたのが「野田さんはどうしてそんなに正確に尺(時間)が読めるのですか?」だった。尺を読んでいるつもりはないが、中学時代からの習い性になっていたようだ。

野村総研にいた当時は、研修は好きではなかった。経営コンサルタントは研修事業を下に見る傾向があるからだ。しかし、やってみると奥が深くておもしろい。「今までで一番おもしろかった」などと言ってもらえると、やっぱり、自分の才能はこれなのかと思う。そうして45歳のときに、自分の原点Canが「話す」であることに気づくのだから、私もずいぶんと遅かった。

 その後は努力して自分の声も作り直し、自分の理想イメージに近づけた。大人になって培ってきたCan、すなわち分析力、論理的思考力、人脈、組織論の知識。そうしたものと“しゃべる”という能力を掛け算し始めた。研修も教壇も、テレビのコメンテーターやキャスターも、趣味と実益が表裏一体となったわけで、これに気がついて本当によかったと思っている。

 最も重要なことはそこだ。原点Canを見つけたら、それと大人になって身についた大人Canを掛け算してみる。原点Canというノンネグレクテッド・タレントを活かす道を考える。その時に必要なのは掛け算された能力を仕事につなげる翻訳能力だ。そのままではどうしていいかわからない原点のCanをどう今に生かすことができるのか。

 昔はバンドを組んで音楽に熱中した。だからまた大人バンドを組んで楽しもう。それは趣味としてはいいことだろう。しかし、ここで言っている意味とは違う。

 私も、原点Can、つまりそもそも私が一番好きで恵まれていた才能と、もう1つあった探求心や分析力が開花して育んできた大人Canを掛け合せたときに、私なりにユニークな能力を見つけることができた。どちらか一方では差別化にはならない。いくら私がしゃべりがうまいとしても、それで一流のアナウンサーになれるわけもない。

 こんな人もいた。同じ年齢の友人で、彼も経営コンサルタントだった。彼は絵を描くのが好きで、得意だったらしい。大学受験に際しては、親に嘘をついて美術系の大学に進んだ。ところが学費の滞納からそれが親にばれて、辞めさせられて、別の一流大学に入り直して経営コンサルタントになる。しかし、44歳のとき、期せずして私と同じ日に会社を辞めて、陶芸の勉強を始めた。芸術の道が忘れられなかったのだ。職業訓練学校に入って技術を中心に学んだ。プロになるべく陶作を始めたのだが、それは正直、趣味の域を出るものではなかった。ところがしばらくして、彼もそれを悟ったのか、陶芸ショップを始める。経営コンサルの知識と才能、そして芸術に対する造詣があったので、店はゆっくりとだが成功した。そんな開花の仕方もあるのだ。

 さて、あなたの原点Canは果たして何だろうか。多くの人はそれを封印している。封印を解いても、それを仕事に活かす方法がわからない。一度、活かし方がわかったら、その人は幸せだ。ごく一部の人は、封印を解き、その活かし方も考えて会社に提案して採用されたり、ことによると会社を辞めてまで新たな挑戦を始める。

 辞めると将来に不安があってもイキイキしている。好きなことを生活の、いや人生の真ん中に置けるからだ。

 正月休みは終わってしまったが、新春にそんなことを考えてみてはいかがだろうか。