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ハヤブサさん、試合中のけがで全身不随…リングへ復帰「5年後に」

産経新聞 9月25日(木)8時19分配信

 美しい空中技で多くのファンを魅了してきたプロレスラー、ハヤブサさん(45)。所属団体のエースとして活躍していた13年前、試合中に頸椎(けいつい)損傷の大けがをして全身不随となった。懸命のリハビリにより、つえを使って約200メートル歩けるまでに回復。「5年後、レスラーとして再びリングに立つ」と力強く宣言する。(竹岡伸晃)

 平成13年10月22日、後楽園ホール(東京都文京区)での試合中のことです。後方宙返りをして相手に体をぶつける「ムーンサルトプレス」という技を出す際、ロープにかけていた足が滑り、頭から落下してしまいました。

 一瞬気を失った後、意識が戻ってまず考えたのは「試合中だから動かなくては」。ところが、首から下の感覚がまったくなく、手も足も動かない。試合を止めてもらい、リングに大の字になったまま「復帰するまでにちょっと時間がかかるかもしれないけど、帰ってきたいと思う」とファンに語りかけました。

 都内の病院に救急搬送され集中治療室に。医師の診断は、「頸椎を損傷している。3カ月以内に感覚が戻らなければ一生このままの状態が続くことも覚悟してほしい」

 最初は「すぐ良くなるだろう」と楽観していたのですが、「冷たい岩に首だけ生えている」ような感覚が続きました。痛みやかゆみ、便意が感じられず、食事や排泄(はいせつ)も自分ではできない。「一生このままだったら…」と思うと気が狂いそうでしたね。

 生きる意味が分からず、死ぬ方法ばかり考えていました。ところが体が動かないのですぐ近くの窓から飛び降りることもできない。「死ぬことすらできないのか」。情けなくてベッドの上で泣き続けました。

 光が見えたのは同じ年の12月。心臓手術をしたことで約1カ月半続いた高熱がスーッと下がってきました。手術後先生に具合を聞かれ、「最悪です」。そう答えた瞬間、「俺はしゃべることができるじゃないか」と気付いたんです。それまでは「体が動かない」ことばかり考えていたので、少し気持ちが楽になりましたね。

 同じタイミングでわずかに指先が動いた気がしました。「神経がつながっている。まだ(プロレスで負けを意味する)3カウントは入っていない」。闘志に火が付きました。「もう一度自分の足で立つ。そして必ずリングに上がる」。周囲にそう宣言し、前向きにリハビリに取り組み始めました。

 リハビリでは意識と体の動きを合わせる訓練が続きました。思い通りにならない体にいらだちを感じたこともありましたが、新弟子時代の厳しいトレーニングを思い出し、「やればできる」と気持ちを奮い立たせました。

 15年3月に退院。看護師の手を借りながら5メートル歩いて病院を出ました。「ここからまだ長いな。もっと楽に、速く動けるようにならなければ」。地面を踏みしめながらそんなことを考えていました。

 退院後、リハビリを続けながらシンガー・ソングライターとして活動を始めました。1作目の「自分を信じて」は自分自身への応援歌。「ゆっくりでもいい 一歩ずつ進んでいこう かっこ悪くてもいい 今は何も見えなくても 自分を信じて-」という歌詞は退院時の思いをつづったものです。

 これまで約50曲を作詞・作曲しました。いずれも頑張っている人に「頑張って」と伝える歌。つらいときに力になったのは、ファンや家族、仲間の心からの「頑張って」という言葉でした。これからも歌い続けたいと考えています。

 けがをしたおかげで人の倍以上、人生が充実しています。「リングへの復帰」という大きな夢も持つことができました。退院後に始めたハーフスクワットは1日100回できるまでになりました。「徐々に体が元に戻ってきている」という実感があります。5年後、後楽園ホールで再びリングに立つ。マスクをかぶりレスラーとして闘う。自分を信じて必ず実現させます。

 「諦めなければ夢は終わらない。お楽しみはこれからだ!」

【プロフィル】はやぶさ(本名・江崎英治) 昭和43年、熊本県生まれ。平成3年、プロレス団体「FMW」入門。多彩な空中技を武器にエースとして活躍していたが13年10月、試合中の事故で頸椎を損傷。現在、リハビリを続けながらシンガー・ソングライターとして活躍、講演活動にも力を入れる。問い合わせはライトハウスエンターテイメント(電)03・5322・3661。