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全社一丸:顧客が買わない理由をなくす −京セラ社長 山口悟郎氏

PRESIDENT 2013年9月2日号 掲載

最高益更新、構造改革の真っただ中、イノベーションの途上……。それぞれの局面で求められているのはどのようなリーダーなのか。

営業出身の社長は24年ぶりだ。入社から27年間、一貫して半導体部品事業の営業に携わってきた。9代目社長にして、京都に本社を置く京セラにとって初の京都出身だ。創業者の稲盛和夫氏に就任報告すると「自分を殺し、公正無私の立場で判断するようにしなさい」とアドバイスされ、気持ちを引き締めたという。社員との親睦では鍋を囲んで盃を交わす。侃々諤々やりながら、一緒に課題を体感しモチベーションを高めていくことが、京セラの流儀だ。

――営業ではどんな仕事を?

【山口】1978年の入社後、すぐに半導体部品の営業に配属され、東京に10年、神奈川に5年いた。今から思えば、当時は半導体部品事業だけで毎年2ケタ成長。仕事をすればするほど売り上げが伸びていた。もちろん苦労したことも多い。難攻不落と言われたクライアントを担当したときだ。誰もが敬遠するような相手だった。どんなにアプローチしても注文をくれない。一所懸命通ったが、きついこともたくさん言われた。それでもへこたれずに通い、4〜5年かかって大幅にシェアを高めることができた。

営業とはすぐに結果が出ないものだ。取引条件に辿りつくまでに人間関係を築くことが重要だから、投げ出さずにコツコツやるしかない。相手から無理だと言われても、なんとか1杯飲めるような関係にする。それだけで3年かかったこともある。

だが、関係をつくるのが目的ではない。相手側のメリットを探っても、こちらの部品の性能が相手の要求水準に達していなければ意味はない。自社の製造部門とクライアントの双方の条件をきめ細やかに調整しつつ進めるのだから難しい。

私は営業の秘訣を「相手が買わない理由をなくすこと」だと考えている。買ってくれない理由を1つひとつ潰していく。そして最終的に部品の性能と価格の取引条件に落とし込んでいくのである。一方で急に部品が必要になるときや、逆に余ってしまうときもある。需給ギャップの調整でも、営業のフレキシビリティーが大事になってくる。

――厳しい仕事が多かった?

【山口】つらいことは多かったが、絶対に負けないという自負はあった。今でもそうだが、取り組むべき仕事はたくさんある。問題点に気づくことで、解決策も自然に出てくるし、それが仕事になる。成果が出れば励みになっていく。

入社する前は、京セラのことを周囲から急成長しているが仕事に厳しい社風だと言われた。創立して19年目のころで、会社の仕組みもまだまだ発展途上だった。「おかしい、もっとこうしたらいい」と思うことがいっぱいあった。問題点を上司に指摘すると、「おまえがやってみろ」とすべて任せてもらえた。当時の私は、働きがいのあるいい会社だと思った。今でもその思いは変わっていない。

新入社員のころ、私のベルトのループが1つ取れているのを見つけた稲盛に「これ取れているぞ。俺が縫ってやるから、針と糸を持ってこい」と声をかけてもらったことがある。稲盛が46歳くらいのときだ。稲盛は東京のオフィスに来ては我々新入社員に「どうだ、がんばってるか」と声をかけてくれた。そんな稲盛の背中を必死で追いかけながら、20世紀の間は無理でも21世紀には自分が会社で中心的な役割を担わなくてはいけないと、なんとなく思っていた。

社員には、製造、営業が一緒になって物事を考えようと話をする。従業員は7万人いる。責任は重い。

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京セラ社長 山口悟郎
1956年、京都府生まれ。78年同志社大学工学部卒業、京セラ入社。2002年半導体部品国内営業部長、03年執行役員、04年半導体部品統括営業部長、09年執行役員常務、取締役を経て、13年4月より代表取締役社長。
[出身高校]私立同志社高校[長く在籍した部門半導体部品営業[趣味]スキー、飲むこと
[座右の書]稲盛和夫『生き方』[座右の銘]謙虚にして奢らず、さらに努力を

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