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「スキルを示しても無駄」な時代? 中年転職者の悲哀

2012年9月24日  Business Media 誠

先日、昼下がりのとある喫茶店でのこと。前回、コロッケを食べていた編集長の吉岡綾乃さんは、今度はマンゴークリームワッフルにナイフを入れながら、私の連載についてこうコメントしました。

「サカタさん、連載のタイトルを忘れてしまっていませんか? 『就活・転職のフシギ発見!』です。誠の読者は学生よりも、社会人のほうが多いんです。就活だけじゃなくて、転職のことも書いてくれなくちゃ困ります」

「確かにその通り。ただ、就活周辺には問題が山積みしていて、それを解決するための問題提示がしたいと私は思い……」と言いかけた言葉をグッと飲み込みながら、私の頭に思い浮かんだのは中年転職者の悲哀でした。

「やりたいことばかりをいっていてもダメ」――彼らの悲しい現実、あなたは最後まで目を背けずに読むことができますか?

●就活生は「やりたいこと」を問われるけれど

学生は就活が始まると、それこそしつこいくらいに「あなたのやりたいことは何ですか?」と面接官に質問されます。もう、ずっと聞かれっぱなしです。本来は「やりたいこと=やりたい仕事」ではないはずですが、そんなのお構いなし。ひたすら「やりたいこと」を考えさせられ、なんとかひねり出し、自分の経験から適当につじつまを合わせて自分についてアピールをし、やっとのことで社会に出るのです。

社会に出れば、今度は「自分で考えて行動しなきゃダメ」とか「キャリアについて先まで見据えなければ」とか「スキルアップは必須ですよ」などと追い立てられて、自分がやりたいことと、仕事とを混同しながら、ある一定の年齢に達することになります。さて、問題はその先です。

出世していて、社内で確固たる地位を築いている。なくてはならない存在であり、自分の代わりになる人はいない――そういう人なら問題はありません。ですが、そんな盤石な状態ではなく「給料の高い自分は、経営が危なくなったら真っ先にクビを切られる存在だな」と自覚している人も、正直、少なくないと思います。早期退職をやんわりと勧められる、同期が配置転換をされた……そんなことに気がついたりすると、いても立ってもいられなくなり、そして転職を視野に入れ、キャリアの棚卸しなるものを始めたりするのです。

●「仕事は部長」なんていう人は、もういない

こういう話を書くと、必ず出てくるのが「『あなたは何ができますか?』と質問すると、『部長をしていました!』と答える人がいるので困る」というエピソードです。

話としては面白いのですが、正直なところ、今のビジネス社会にこんな人はもういません。少なくとも、その程度の人に部長が勤まっていた時代は過去の話なのです。いまどき、転職を視野に入れているほとんどの人は、職務経歴書を作り、いままで仕事をしてきたことを文字にして、経験を可視化する作業をします。その中で、自分が身につけた能力やスキルと呼ばれるようなものを抽出し、自分のセールスポイントとしてまとめます。

就活生のように、大した経験でもないことから無理矢理引っ張りだした能力ではなく、ある程度実績に見合った力なので、それなりに説得力を持つことになります。が、この作業をすることが、逆に転職する際に、自分自身の足を引っ張ることになるのです。

社内で盤石の状態を築いている人の能力であれば、ケースバイケースとは言え(仕事の能力的な部分は低くても、社内政治が得意、といったケースもあるでしょう)、見るべきものがあります。少なくとも、今いる企業では、「その人は求められている」と言えるわけです。

しかし、首元が涼しくなっている状態の人が持っている能力は、少なくともその企業では求められなくなっているということになります。考えてみれば当たり前のこと。ですから、自分の能力が求められる場所に移るという選択肢を取らざるを得なくなるのです。以前は、一歩先に進んでいた企業を退職した、という人の持っている能力を高く評価し、迎え入れたいと思っていた企業は少なくありませんでした。しかし今は、風向きがちょっと変わってきています。

●よその企業が不要だと思った人は、ウチも不要

転職者を取り巻く環境がどのように変化してきたのか。端的に言うと「よその企業が不要だと思った人は、ウチも不要」という感じでしょうか。「厳しいビジネス社会なのだから、仕事ができる人を企業は手放したりしないはず。手放された人には、それなりの理由があるのではないか」。そう考える採用担当者が増えているのです。

事実、企業が中途採用市場において求める人材は「転職希望者として、採用市場に出てきていない人」になってきています。転職意欲がなくても、「現在よそで大活躍している人なら、ウチに欲しいです」という企業が多くなっているのです。そのことについては、別に不思議でも何でもありませんよね。自分が採用する立場になって考えてみれば、「確かに、よその会社をお払い箱になった人を採りたいという考えはないな」と分かるはず。見方によっては「ないものねだり」をしているようにも感じるのですが、これは判断の分かれるところでしょう。

さて、ここからが問題です。今の会社で居場所がないと察知し、転職を視野に入れて活動を始めようとして、職務経歴書を作り、自分ができることやスキルなどを可視化してみると、当然「今までの経験を生かした職に就きたい」と考えるようになります。

これを読んで「そんなの当然じゃないか! そのための職務経歴書だろう!」と思った方が多いのではないでしょうか。当たり前のことを書いてどうするのだ、とお叱りを受けそうですが、そこにフシギがあるのです。

●やりたいことがある人は再就職不可能な時代?

自分の経験やできること、スキルを可視化すると、「それを生かした仕事に就くべきだ」と人は考えてしまうのです。そして、そういう自分の特徴が発揮できそうな仕事を探しに行きます。そんなことは当然だろうと行動を起こしてしまうと、そこで行き詰まってしまうのですね。

あるキャリアコンサルタントは「一定の年齢以上の方の転職を支援している時に、仕事が決まりにくい人に多いのは『自分はこの仕事がしたい』と思い込んでいるケースです。『これができる=それしかできない』ではないのですが、そう勘違いしがち。だから、自分がやりたい仕事にこだわりすぎてしまって、結果としてどこにも決まらないという事態になります」と、フシギの正体を明らかにしてくれました。そう、たとえ勘違いだとしても『やりたいことがあるが故に再就職ができない』という事態を引き起こしてしまうのです。

●「できること」を「やりたいこと」と混同する悲劇

自分ができることを可視化しておくことが重要であるという話は、キャリアを考える上でよく語られる話です。「キャリア 棚卸し」と検索してみると一目瞭然ですが、そのノウハウはネット上に山のようにあります。その情報を提供している先を確認してみると、転職支援を行っている企業によるものが多いはずです。

彼らにとって、転職を考える人たちに今までの経験を言語化させることには重要な意味があります。それは「その人が、どこの企業の求人ニーズにマッチしているのかを理解する」ために必要な材料になるからです。その人がどんなことをやりたいのか、ということも当然意識しますが、それ以上に、その人に「どんな市場価値があるのか」を見たいのです。経歴が整理されて、スキルが言語化されていれば、売り込む先は見つけられる。一種のタグ付け作業のようなものだと捉えてもらえばいいのかも知れません。

しかし、整理した側は「これだけいろいろとやってきたのだから、それを生かして転職しなきゃ」と考えてしまう。そのギャップが埋められないまま、ズルズルと仕事が決まらない、という状態になってしまうのですね。しかしその勘違いを指摘する人は少なく、たいていは「もっと広い視野を持ってください」という抽象的なアドバイスが飛び交う、ということになるのです。もっと現実を直視してくださいという厳しい言葉を投げつけられても「できることはこれしかないのだから、それが生かせる仕事に就くこと以外に考えられないだろう!」と叫びたくなってしまう。

「決まりやすいのは『仕事だったらなんでもやります!』という人です」と、再就職などを支援している現場では言われています。経験に裏付けられた能力やスキルがないのは論外。ただ、それがあったとしても、自分のやりたいことや就きたい仕事にこだわってしまうと道がとたんに塞がれる……それが中高年の転職の実態なのです。

ここには、自分の持っている能力と企業が欲しがる能力にギャップがあり、なおかつ、能力そのものをアセスメントする方法も多くない上に、正確にもできないという、転職市場における根本的な問題が横たわっています。正解がなく、ケースバイケースであることを承知の上で、もう少し働く人の立場になった仕組みを誰かが提示しない限り、働けない人たちが世の中にあふれてしまう。その可能性を視野に入れるべきだと、ひずんでしまった転職マーケットの周辺に身を置くものの一人として、ここでつぶやいてみるのです。

[サカタカツミ,Business Media 誠]