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商社の農業参入で国内自給率はアップできるか 大震災を乗り切った豊通グループ 国産パプリカの可能性

2005、2009年の農地法改正以降、農業への新規参入規制が大幅に緩和され、農業に参入する株式会社が急増している。そうしたなか、意外な大企業も農業への参入を果たした。それが総合商社の豊田通商グループ(以後、豊通グループ)だ。豊田通商の子会社である豊通食料は、宮城県栗原市の地元農家と共に出資し、農業法人ベジ・ドリーム栗原を設立。現在、パプリカ栽培では、国内最大の栽培面積を誇る規模にまで拡大している。

そもそもパプリカといえば、スーパーなどの量販店では韓国産、ニュージーランド産はよく見かけるものの、国産品にはめったにお目にかかれない野菜だ。未だ日本ではメジャーな農作物ではないため、正確なデータはないものの、現在のパプリカの流通量は輸入・国産をあわせて2万7〜8000トンほど。そのうち国産は5〜10%程度を占め、現在ベジ・ドリーム栗原では年間840〜900トンを生産する。

国内での自給率がまだまだ低いパプリカだが、なぜ同グループは商社でありながら、パプリカ生産に参入したのだろうか。

■“農業経験ゼロ”からパプリカ生産に参入 きっかけは「顧客の声」にあった

きっかけは、6年ほど前にさかのぼる。06年に豊通グループの豊通フーズとトーメンフーズが合併、07年には豊田通商食料部門の一部を事業承継すると同時に現在の豊通食料が誕生した。そうしたなかで同社は、「食料専門商社として特色を出したい」との思いから、目玉になる事業を模索していた。

そんなときだった。もともと豊田通商では輸入パプリカを扱っていたのだが、ある日、顧客の1人から「もっと、みずみずしいパプリカがほしい」との要望を受けた。それは即ち、「安心・安全で新鮮なおいしい国産のパプリカがほしい」という声だった。

「ニーズがあるなら小さい畑からでもやってみよう。そう思い始めました」

こう語るのは、豊通食料とベジ・ドリーム栗原の代表取締役を務める高橋誠一郎さんだ。当時、まだ国内でパプリカを生産する農家は少なく、商社が参入しても競合する可能性は低い。しかも日本の農業自給率アップに貢献することもできる。こうして09年3月、まずテスト農場として宮城県栗原市に0.7ヘクタールの耕地面積を持つ第1農場を完成させ、生産を開始。今では、10年6月末に完成した第2農場4.2ヘクタールと合わせて約5ヘクタールで生産を行っている。

しかし、農業に参入するといっても、豊田通商には農業の経験がなかった。実際に、立ち上げからこの事業に参画し、現在はベジ・ドリーム栗原の取締役を務める樋江井秀仁さんも、以前は豊田通商で輸入野菜を取り扱っていたが、この事業に参画するまで農業経験はゼロだったという。

そんな“農業の素人”だったベジ・ドリーム栗原にとって大きな力となったのが、同法人に共同出資した地元農家でもある5名のパートナーだ。実は、パートナーたちは元々小規模ながらも地元でパプリカを生産しており、既にパプリカづくりに精通していたため、それが原動力となっていった。

もちろんそれだけではない。大規模なパプリカ生産を実現するため、農業先進国として有名なオランダに社員を派遣し、スクールで学ぶことで技術向上を目指した。また、同施設では、オランダなどのヨーロッパ諸国でも使われている大規模農業用装置を導入。農場は、およそ東京ドームほどの広さを誇るため、とても人の手だけでは作業はできない。地元のパート従業員を四十数名採用しているが、その人数でも広大な土地で収穫をスムーズに行えるように、収穫コンテナを自動搬送できるAGV自動搬送機を取り入れ、従業員の負担減やコスト削減につなげている。

また、農地として選ばれた宮城県栗原市は、自治体としてこのプロジェクトを応援してくれているだけでなく、気候面でもパプリカの栽培に非常に適している。というのも、パプリカは暑すぎても寒すぎても育たないデリケートな作物で、気温が摂氏30度を超えるとストレスがかかり、商品として出荷できない。だが、栗原市は例年真夏の7〜8月中であっても30度を超える日が1週間もない地域だ。また冬も太平洋側の地域で雪が少ないため、ハウスに雪が積もって日照条件が悪化することも少ないという。

■“難易度Sクラス”のパプリカ栽培 1本の苗から40個収穫するまでの苦労

しかし、パプリカは一朝一夕で育てられる作物ではない。実はパプリカ、花が咲いて緑の果実になるまで約1ヵ月を要し、それから色が赤やオレンジなどに変わり、収穫に至るまで3〜4週間かかる。つまり、花が咲いてから収穫まで約2ヵ月間も病気や害虫のリスクにさらされるのだ。花が咲いてから収穫までの期間が短い他の作物(きゅうりなら1週間、トマトは1ヵ月程度)と比較して、長い期間デリケートな扱いが求められる。取引価格が他の作物より高いため、参入農家は多いが、こうした理由からギブアップ、撤退する農家も多いようだ。

このように病気や害虫のリスクが高いパプリカであっても、普通に栽培をしていれば、1つの株から5〜10個ほどは収穫が可能だが、それでは大規模栽培をするなかで事業としては全く採算が合わない。そこで、ベジ・ドリーム栗原では1本の苗から40個程度のパプリカを収穫するため、様々な工夫を凝らしている。

まず、パプリカは夏作と冬作に分けて栽培し、それにより1年中収穫が可能となっている。夏作は、1月に種をまき、2月に定植、5月から1月頃までの10ヵ月間に収穫を行う。そして冬作は8月に種まき、9月に定植。そして11月から7月頃まで収穫している。

先ほどもご紹介した農業国・オランダのノウハウも生産に活きている。社員をオランダで学ばせただけではなく、オランダからコンサルタントを定期的に招き、養液の使い方から肥料の与え方、湿度のコントロールなど最適な環境を植物に与えるための体制を整え、生産数量を伸ばしているという。

また、生産コストを下げるための取り組みも様々だ。例えば、ハウスの屋根と側面のフィルムを二重にすることで空気の層をつくり、断熱効果を得る取り組みをしている。これによって、冬の暖房代は20〜30%も削減することができているそうだ。そのほか、屋根に降った雨水を1000トンの容量を持つタンクに貯め、水やりに使っている。

そうした徹底した生産管理体制の背景にあるのは、やはりトヨタグループならではの「トヨタ生産方式」の考え方だ。生産を行う導線の設計には多くの配慮がなされており、ベルトコンベアーのスピード1つとっても、作業員にとって最も効率のよい速さを追求。トヨタ式の5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)についても徹底して実施しているという。

■大震災でハウスは「ぐちゃぐちゃ」に 手で水やりをして乗り切った数ヵ月

東日本大震災直後のハウス。震度7の揺れによってハウス内の大きな機材も倒れ、「ぐちゃぐちゃ」の状態になってしまった。
そうして順調に第2農場での生産が始まった矢先、大事件がベジ・ドリーム栗原を襲う。それが、2011年3月11日に発生した東日本大震災だ。栗原市震度7の揺れに襲われ、ベジ・ドリーム栗原も高橋さんが「一言でいえば、『ぐちゃぐちゃ』」と話すほど、壊滅的な被害を受けた。

まず、農場全体には約11万本の苗が植えられていたが、ライフラインがストップし、温室の暖房設備もすべて使えない状態に。そのため、震災直後に半分の5.5万株がすぐに枯死してしまった。残りのパプリカについては、物流がストップしていたため、収穫は諦めたものの、まだ小さいものについては生き長らえせようとした。しかし、ライフラインが止まったことで養液を送るポンプ、天窓の開閉も機能せず、窮地に陥る。そこで取ったのが、こんな行動だった。

「出勤できる従業員全員が、人海戦術で約5万株の苗に手で水を与えていきました」(樋江井さん)

しかし、収穫できたパプリカも人の手によるところが多かったために一定品質の商品にならず、すべてが商品として出荷できる状態ではなかった。当初11年度は840トンの生産を見込んでいたものの、実際は400トンの収穫に終わってしまったという。

そこから11年は1年中、復旧に追われたが、今年1月にはほぼ完了。そして今年3月には完全復旧を果たすことができた。

■第3農場誕生で生産は1150トンに 農作物への挑戦はまだ始まったばかり

震災の影響もあり、実はフル操業は2012年が初めて。“復興元年”である今年の生産には注目が集まっている。今のところ、今年は約900トンの生産を見込んでいる。

来年3月には、トヨタ自動車東日本宮城県及び同県黒川郡大衝村とともに、農商工連携プロジェクトとして、自動車工場内の自家発電機の廃熱を温水として農場に供給するため、豊田自動車東日本の隣接地に1.8ヘクタールの栽培面積を持つ第3農場が誕生する。実証実験という位置づけではあるが、これが成功すれば環境負荷の軽減とさらなるコストダウンも夢ではない。第3農場がフル操業すれば、合計で1150トンの生産が可能になるという。

今後の課題は、販路だ。現在は、大手コンビニでのお弁当の彩りやスーパー、百貨店などの量販店に卸されている。安心、安全を重視する顧客には喜ばれている商品だが、輸入品のパプリカが1つ100円程度で販売されているのに対して、同法人のパプリカはMサイズで200円程度。およそ倍の値段だ。

「日本では高級品(国産パプリカ)への需要がまだ小さいなかで、どう売っていくか。それがこれからの課題ですね」(高橋さん)

さらに、トヨタ生産方式を取り入れているとはいえ、工業製品とは違い、生き物を扱うことの難しさは計り知れない。そのため、予想生産数量を定めても、工業製品のようにぴったり目標に達することは容易ではない。毎年天候は異なるうえ、品種もどれが最も栗原市での栽培にふさわしいのか、まだまだ模索中だ。これから何年も実積、データを積み重いくなかで、パプリカ生産日本一を誇るノウハウを蓄積していくことになるだろう。豊通の国産パプリカ生産への挑戦は、まだ始まったばかりだ。