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「生んでくれてありがとう」

午前1時を過ぎていた。10月のある日、大阪府茨木市の自宅で寝ていた辻由起子さん(37)の携帯電話が枕元で鳴った。

信羽さん(左)と一緒に夕食を作る由起子さん。「どん底の時、こんな日が来るとは思わなかった」と言う。

「また子供をたたいてしまった」。一人で子育てする30歳代の母親の声は弱々しいが、切実な叫びに聞こえた。「十分頑張ってる。大丈夫」。母親が落ち着くまで約1時間半、電話越しに励まし続けた。

行政に頼らず、育児に悩む親を支える取り組みを始めたのは14年前。口コミで広がり、今では電話やメールなどで1日約10人、これまでに数千人と関わった。



高校卒業前にアルバイトを始めた居酒屋で、同僚だった一つ年上の夫と出会った。親の反対を押し切り、すぐに結婚。1年後、長女の信(とき)羽(は)さん(18)を産んだ。

だが、精神疾患を発症していた夫は仕事も子育てもできず、ホステスや喫茶店員として、昼も夜も働きながら育てた。誰の支えもなく疲れ切り、周囲に相談すると、「母親なんだから当たり前」と突き放された。

「必死で娘を育てているのに誰も認めてくれない」。いら立ちは信羽さんに向かった。ぜんそくで一日中せきが止まらないのに裸のまま外へ放り出した。甘えてきても、「あっち行って」と遠ざけた。

「産まなければよかった」と疎ましく思う一方、「娘を愛せるようになりたい」と悩んだ。親子の関係を見つめ直したいと、通信制大学で幼児教育を学んだ。23歳で離婚してからは、育児に悩む親の相談に乗るようになった。親の話を聞くうち、虐待は収まり始めた。

だが、信羽さんの胸には成長しても「黒くもやもやした感じ」が渦巻いていた。由起子さんが歩み寄ろうとしても反発。中1で不登校になり、半年間、話をしないこともあった。

中3の時、携帯サイトに「早くお母さん死んで」と書き込んだ。「人のために頑張ってても、私にはうっとうしいだけだった」

崩壊した親子関係は簡単には立て直せなかった。



虐待で引き裂かれた親子の関係修復を支援するNPO法人「チャイルド・リソース・センター(CRC)」(大阪市)代表の宮口智恵さん(46)は「子供が生まれてよかったと思える親子関係の再構築が大切」と話す。

宮口さんは、府内の児童相談所(児相)に勤務していた頃、一時保護のたび、親にも子供にも泣かれた。親子再生のプログラムが必要と感じたが、保護が最優先。限界を感じ、15年間勤めた児相を辞め、2007年にCRCを設立した。

これまで39組の親子と関わってきた。1組ごとにスタッフ数人がつき、約1年間じっくり向き合う。ある子供はなかなか親に近寄らなかったが、最後には「ママ」と呼んで笑顔を見せた。「私に笑ってくれた」と母親はうれしそうに言った。

宮口さんは思う。「親子をつなぎ、虐待を乗り越える受け皿であり続けたい」



信羽さんは昨年6月、連れて行かれた講演会で、由起子さんの友人に会った。「お母さん、ほんますごいで。女神みたいやで」。何人もの知らない人からほめられた。むかついてばかりだった由起子さんがキラキラして見えた。

由起子さんは昨年末の誕生日に信羽さんからケーキをプレゼントされた。チョコで書かれた「生んでくれてありがとう」の文字。涙があふれ、思わず娘を抱き締めた。「いろいろあったけど、今までありがとう」

幾度も迷い、寄り道をして、母娘はようやく絆を紡ぎ始めた。「私たちは17年かかった。誰か一人でも認めてくれれば、きっとやり直せる」。由起子さんは十数年前の自分が求めていた言葉を今、どん底にいる親たちに伝えている。

■親子関係の再構築■ 親と離れて児童養護施設などで暮らす子供は09年度で4万600人(厚生労働省調べ)。少子化にもかかわらず、10年前より1割増えている。児童虐待防止法は、子供を施設に入所させるなどした後、親子が再び一緒に暮らせる対策を進めるよう自治体などに求めているが、親子関係の再構築が進んでいない現状が浮き彫りになっている。

(2011年11月6日 読売新聞)

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今、自分がいなくなったりすれば、嫁や子供達はどうなるのか。
そう思うと、自分自身も大切にしなければ、と思う。
自分だけの自分では、ない。